2014年08月18日

従兄弟にありがとう

 お盆に母の実家である茨城に行ってきました。ミンミンと蝉が鳴きサルスベリの紅い花が咲く暑い日で、長男夫婦とお墓参りに行くのが目的でした。
 何年か前までは雑木林に囲まれ森の中にあった墓地も、今は傍まで住宅が建ち並び昔の面影はありませんが、いつもと変わらず祖父母の想い出話をしにお参りをします。
 実家に戻ると従兄弟が畑から飛び出してきて「好きなだけ持っていけ。」とナス、トマト、キュウリ、トウモロコシ、モロヘイヤなどを取って来てくれます。毎年変わらず帰りに持ちきれないほどの心遣いに感謝です。ありがとう。
(横浜市/M・G)

2014年08月14日

M子さんにありがとう

 伊豆に旅行に行った際に西伊豆の戸田へ行こうということになりました。そこは私の子どもの頃の疎開先で、2年足らずでしたが小学生の頃を過ごした場所でした。
 母親の実家でどこも食糧難でしたがミカンはたくさんありました。今のように甘くはありませんでしたがご馳走でした。
 学校の庭にはチータラダという遊具があり、ギッコンバッタンの手だけで遊ぶもの。高く飛ぶと空に吸い込まれそうになるくらい気持ちよく、毎日毎日それで遊んでいました。
 今は伯父も伯母も従兄弟も他界しましたが、従兄弟の嫁のM子さんが家を守っています。80歳を過ぎても畑仕事をしたり、趣味の押花をしたりして元気に過ごしています。
 ホテルから電話すると「家に来て。」と言ってくれましたが、お墓参りしてこれから東京に帰ると言うと、息子さんの車で嫁のS子さんも一緒にわざわざ戸田港まで見送りに来てくれました。何と大きなジャガイモとカボチャのお土産を持って。家に帰り蒸かしてみるとカボチャは栗のようにホッコリして、ジャガイモはチンして塩を振るだけでおいしくいただけました。
 毎年必ずミカンを送ってくれるM子さんに思いがけず数年ぶりに会えて嬉しかったです。まだまだお元気でいてね。お陰で良いお盆休みになりました。ありがとうございました。
(目黒区/H・O)

2014年06月23日

おばさんへありがとう

 電話がなり、「もしもし。」と聞きなれない声。「どなたですか?」「倒れて、病院にいます。来て。」すぐに飛んでいきますと、おばさん(主人の母の妹)でした。
 おばさんは、独身で自由に生きてこられ、義母が亡くなり二十年、何の付き合いもありませんでした。主人は、「看なくていいから。かまうな。」と言いますが、看病する人もいないようで、困っている様子に、私しかいないと思い、面会時間に尋ねると、「人生つまんない。」とか文句と愚痴ばかり。日々ありがたく感謝で生きてほしいと願い、会う都度、ありがたい話をしました。
 三年もたった頃、おばさんも、「看護師さんが親切にして下さったよ。」と、感謝の言葉が出てくるようになりました。「おばさん、聞こえる?ありがたいね。皆さんに親切にしていただき。」「ありがとう。」おばさんの顔は優しく穏やかです。
 今まで、主人と二人で出かける機会がなかったのですが、おばさんのお陰で、病院へのお見舞いの帰り、二人でゆっくり食事を楽しむ時間をいただき、ありがとう。
(調布市/R・W)

2014年05月26日

近所のおばさんにありがとう

 近所のおばさんは私が嫁いで四十三年、いつも優しく、「お茶を飲みにおいで。」と声をかけてくれした。
 とても親切にして頂きましたが、去年の暮れからお見かけしないなあと、気になって久し振りにお訪ねしてみると、今年百二歳を迎えるおばさんは、転ぶといけないので、外にはめったに出ないとのことですが、とてもお元気でした。
 自分の事は自分ででき、しっかりお話もされ、七十六歳の娘さんがお世話に通って来ていましたが、「トイレから出ると、『お尻ふいたの?手洗ったの?』と、娘は私の事を子供扱いするのよ。失礼でしょう。」なんて大声で話し(耳が遠い)、すごいエネルギーを感じ、見習わなくてはいけないと思いました。
 励まそうと思っていましたが、昔も今も変わらす、反対に励まされました。いつまでもお元気で。ありがとう。
(川口市/T・Y)

2013年01月16日

雪かきをしてくれてありがとう

 東京にも何十年ぶりの大雪が降りました。雪はどんどん積り、庭の木も綿帽子をかぶり、きれいな雪景色にしばし見惚れていましたが、雪はやみそうになく、雪かきをどうしようかと心配をしていました。
 夜、大雪がやんだ頃、
「大丈夫か?」
と近所のおじさんの声が聞こえました。しかし、玄関に出てみても姿はなく、おかしいなと思い道路をのぞいてみると、おじさんがスコップを持っていて、
「明日、凍ると危ないから。」
と言い、一生懸命雪かきをしてくれました。
「寒いのに申し訳ない。」
と私が言うと、
「おれは雪国育ちだから、このぐらいの雪は平気だよ。」
と言ってくれました。
 きれいに雪かきをしていただいたお陰様で、我家の前をみんなが安心して通ることができました。
 おじさん、ありがとう。
(葛飾区/N・I)

2012年06月24日

田舎の親戚にありがとう

 サクランボが最盛期を迎えた山形の田舎に行ってきました。そこでは、叔父から畑を引き継いだ従兄弟が会社勤めをしながらサクランボを育てています。
 真赤に熟してたわわに実っている可愛らしいサクランボは宝石のように光り輝いていました。
 一年間丹精こめて世話したサクランボは、わずか二週間ほどで終わってしまいます。
 周りの葉だけでは後を継いでくれる人がいなくて、木を切り倒してしまったり、実がなくなったまま放置しているところもあるなか、叔父が大事に育てたサクランボをより美味しくなるようにと、一生懸命に世話している従兄弟を尊敬しました。
 また、母に頼まれ親戚の家を何件か訪ねましたが、親戚を大事にしている母のお陰様で、どこの家でも母の娘ということで歓迎してくれました。
 子供の頃は当たり前のように夏休みになればいつも山形へ行っていました。一か月以上も私達兄弟3人を預ってくれていた叔父のおおらかさに今更ながら頭が下がる思いです。本当にありがとうございました。
 「来年もまた来いよ。」との従兄弟の言葉に送られて帰京しました。久しぶりの山形訪問は家族、親戚の絆を改めて感じさせていただいた旅になりました。
(目黒区/K・N)

2011年11月07日

●となりのおじさんありがとう

 多くはないのですが、年に数回、出張で大阪へ行くことがあります。
 帰りはだいたい最終便かその一本前といった、あわただしい日程がほとんどで、疲労もたまりますが、新幹線に乗るだけでもいまだにわくわくする私はたまの出張を少し楽しみにしていました。
 大阪へも何度か通ううちに、帰りの新幹線に買い込むものも固定化してきて、大分余裕がでてきたな・・・と最近は感じていました。
 先日も大阪へ行ってきました。私はいつも通りに帰りに肉まんやら色々と買い込み、遅い夕食を車内で食べました。
 食べ終わってからはひと眠りしても、降りる手前で自然と目が覚めるまでになっていた私は、いつも通り気持ちよく眠りにつきました。
 しかし、疲れがたまっていたのか気持ちよく眠りすぎて、気がついた時にはもう駅についており、あわてて荷物を持ってホームへ降りました。
 何とか間に合ったなぁ・・・とホッとした時、車内から声が聞こえまし。
「忘れもの!しっかりせいっ!」ときつい口調ながらもさわやかな笑顔で言われました。
 あわてて出て行った私が忘れ物をしたのに気づいて、隣のおじさんが急いで持ってきてくれたのでした。
 私は、あわたふためく自分の姿を見られていたことに恥ずかしさを感じながらも、おじさんに「ありがとうございます!」と、なんとかその場でお礼を言うことができました。
 おじさんありがとう、あれは家族へのお土産で、みんなが楽しみにしていたものでした。
 今度からは、時間に余裕も持つよう気をつけます。
(横浜市/T・O)

2010年06月08日

●支えてくれてありがとう

●支えてくれてありがとう


 先日、仕事でいわき市に行く機会がありました。
 父の実家のある四ツ倉町の本家を40年ぶりに訪ねました。
 父の本家は「海気館」という旅館を代々経営しております。
 近年では叔父も高齢で廃業してしまいましたが、昔ながらの看板や柱、階段の部材をそのままに新築されたお宅は昔の面影を残しており、懐かしかったです。
 祖父や親族の方々のお話を本家のおじいさんから伺いました。
 そのことを父に話すと昔の思い出を語ってくれました。
父の叔父さんで戦前のロサンジェルスオリンピックに出場した豊田清という方がいたそうです。
 その方は一族の希望であったそうで小学生の父のあこがれの的だったそうです。
 本家の壁には清叔父さんのレスリングウエアの写真とトロフィーが飾ってあったそうです。
 ところが不幸にもその頃、中国で戦争が始まり、叔父さんは徴兵されて戦地に向かいました。そして、足に被弾して切断してしまいました。
 帰国して療養したのですが甲斐もなく帰らぬ人となったそうです。
 幼い父は祖父と共に日立の病院をお見舞いに行った記憶があるそうです。
 叔父さん亡き後、一族は大変悲しみました。
 その頃、祖父が経営していた工務店が負債を抱え倒産してしまったそうです。
 父の一家は貧乏のどん底で4人の兄弟を抱えて食べるのがやっとの生活だったそうです。
 しかし、疎開先の大子町で小学校高学年になった父は野球で頭角を現し大人に混じってオール大子のメンバーとして野球をしていたそうです。それを知った本家の方々や一族の方々は大変喜んだそうです。
 「清亡きあと泰光を応援しよう。清の精神を泰光が継いでいる。」戦後の食料難の時期一族の方に支えられ、食べ物やお金の援助をしていただいたそうです。
「俺はね、自分の実力だけでプロの選手になった訳ではない。色々な人に支えられたから野球ができた。そして亡くなった清叔父さんも見守ってくれたような気がする。」と語り父は優しい笑顔をしていました。
    (ありがとう不動産 豊田泰由)

2009年09月30日

●おばさんありがとうございます

●おばさんありがとうございます


 いつも年をとった両親の身の回りの世話をしてくれているお手伝いさんのおばさんがいます。私が多忙で両親の身の回りの事が出来なかったこの数年親身になって面倒をみてくれました。今までありがとうございます。これからもお元気でいてください。
 私も親孝行をいたしますのでこれからもよろしくお願いします。

         (練馬区/T・T

2009年03月24日

●義父さんの遺品の洋服にありがとう  

 私は妻の亡くなったお父さんの服をきています。一〇年前になくなったお父さんのつけていたスーツやコート、ワイシャツなどのほとんどを遺品としてうけついだのです。
 妻の父の服は型のふるいものであり、あまりよろこんで着ていたわけではありません。
 でも、ある日遺品のスーツを着て妻の実家を訪れました。そのときスーツすがた見たおかあさんんが声をあげて泣き出したのです。
 私は涙を流しながら喜んでいるおかあさんを見て胸がつまりました。それ以来おかあさんに会う際にはお父さんの服を着るようにしています。
 おかげさまでぎくしゃくしていたお母さんとの関係も良くなり心から「おかあさん」と呼べるようになりました。
 そんな私たちを妻もうれしそうにみまもっています。お父さんの服のおかげで家庭も仕事も順調です。ありがとう。
      (福岡県博多市/Y・H)