介護付老人ホームに入居した友人を見舞いがてらに訪問している。「おひとり様」の彼女は猪生まれの81歳。若い頃はまじめに仕事に取組み、退職後は世界各国を旅行するなどして元気に第二の人生を謳歌していた。しかし、数年前から私と出会っても口数が少なくなり、友達とのおしゃべりの輪にも入って来ない状況が見られ、気にはなっていた。
しばらく会わないでいたら、昨年はとうとう年賀状も来なくなり、心配して電話してみたらずっと留守電で、携帯にかけてやっと話が通じ、介護付老人ホームに入居していることが判明した。しかし、自分の施設名もわからず、近所の駅名を聞いてやっとどこの施設かが分かり、私はどのような施設かと思い、後学のために参観を兼ね訪問してみた。
今回は3度目。友人も誘って出かけた。半年ぶりに会う姿はかなり老けてしまっている。気がかりは生きる気力をなくしてしまっていることである。新聞も読まず、テレビも見ず、散歩にも出かけず、施設内のサークルに入って細々とひっそりと静かに生活している様子。携帯メールが便利だから使い方を教えてあげようとしたが興味を示さない。口から出てくる言葉のはしばしからは厭世観すら垣間見える。
身体はどこも悪くない、医者にもかからず健康体である。にもかかわらず…である。私は不思議でならない。高齢になるにつれ、介護付老人ホーム入居を検討する人は多いことと思うが、もう少し、生き生きと最期の時を迎えられないものだろうかと思う。それとも、彼女の様に入居した途端、世捨て人の様な心境になるものだろうか、彼女の場合入居時期が少し早すぎたのではないだろうかとさえ思われる。
ホームからの帰途の道々、様々なことを考え友人と語り合った。私より年上の先輩達の言葉は、いずれ我も行く道と考え、話を聞きながら参考にしているが、立派な施設を作るだけでは充分ではないのだ。各施設には「傾聴ボランティア」のようなソフト面の充実も重要なのではないのではないだろうかと思う。
特別に人間嫌いの人は別として、豊な人生を最後まで送る方法を共に探りたいものである。人に頼らず、また時には人を頼りつつ・・。
(品川区/A・N)
posted by 1039 at 14:17| 東京 🌁|
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●先輩、後輩、同僚へ…ありがとう
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