岩手から二十歳になる新入社員が来ました。
「おはようございます。」
と朝、誰もいない部屋にあいさつをしています。不思議に思い、
「どうしたの?」
と聞いてみると、
「これから今日一日お世話になるので、感謝の気持ちであいさつしています。」
と言いました。
今時こんな子がいるのかと、私が感謝の気持ちでいっぱいになりました。
新入社員が大切なことを教えてくれたような気がします。ありがとう。
(青梅市/K・A)
2013年01月30日
新入社員にありがとう
2013年01月25日
主人にありがとう
昨年の暮れ、主人と二人で旅行に出かけました。結婚して以来、二人で旅行をしたのは2度目です。山あり谷ありの結婚生活で、主人と旅行することは諦めていたので、飛行機に乗って初めて旅に出たことを実感しました。
ツアーでご一緒した方たちは私達と同じか少し年上のご夫婦の方がほとんどでした。冬の九州は想像していたよりずっと寒く、霧氷の美しさに感激しました。
どこに行っても何を見ても、いつか行けたらと思っていた所に立っていることが不思議で、主人とこんなに穏やかな日が来るんだと何も言えない感覚でした。
結婚して三十八年、主人を責めていた時もありましたが、私が感じているのと同じように、主人もいろいろな思いがあったのだろうと静かに受け止められるようになりました。
わがままな私を今まで抱えてくれた主人にありがとう!
(目黒区/A・N)
わが故郷にありがとう
義務教育を卒業して故郷を後にして久しい。「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・」銘歌には銘詩が付き物だ。定年を近くした頃から、私達には10年を節目に故郷で同期会を行うのが恒例となっている。孫と語り遊ぶのを最高の楽しみとするこの期に及んでも故郷で同級生と昔を語り合う心の糧は何物にも代え難い物がある。逢った瞬間から暫くは、何となくちぐはぐな「からいも普通語」を交わすが、何時の間にか、完全な「からいも語」に変る。いよいよエンジンがかかり盛り上がる。
かつて故郷を後にして急行「霧島」に乗った時も桜島は燃えていたが、今回も桜島は燃えていた。休暇の度に、親兄弟、親類の慶弔につけ、これまでに幾度帰郷しただろうか。かつて、28時間以上かかる急行霧島から、ANAやJAL等で2時間以内に移動出来るまでに成った。故郷は物理的には遠くても心は極めて近い。何故そうなのかあらためて考える必要はないだろうが、育った環境や自然が残っていること、故郷を守ってくれている友や恩師が居ること、懐かしい独特の文化が、そして芋焼酎があることなのかも知れない。
いよいよ佳境に入ると、「オイ(俺)が、ワイ(お前)が」と飛び交いながら、ナンコが始まる。所謂高知県における「ハシケン」である。方や箸だが我が方は堅い木を拳に入る程度に四角柱に削り、各人が3個ずつ持って、数を当てっこする。そして負けたものが毎回焼酎を飲むゲームである。かつて、外国で勤務した時、現地の人達に教えたこともあるゲームだ。
ところが、現役中に転々と転校を強いた我が子達には『故郷』が有るのだろうか。もし有るとしても、小生が感じるような強烈に覚る故郷があるのだろうか。などと自虐感すら感じてしまう。場合によっては、「故郷なんてそんなセンチメンタルなど不用!」と言われるのだろうか。だが、小生にとっての故郷は無くてはならない大事なものである。わが故郷よ有難う。
(船橋市/K・M)
2013年01月23日
かわいい息子にありがとう
四月から入園する長男の幼稚園の登園日をすっかり忘れてしまい、青くなって、あまり頼りにしていない主人に「どうしよう」と慌てて電話をしました。すると、
「大丈夫だよ。きっと予備の日があるから。」
と主人に言ってもらい、ホッと安心したものの、やはり息子に申し訳なくて、
「ごめんネ。ごめんネ。」
と心から謝りました。すると三才になる息子は、
「ママ、だいじょうぶだよ。だっこしてあげるからね。」
と私をやさしく慰めてくれました。 息子の成長を感じた瞬間でした。ありがとう。
(高松市/Y・N)
2013年01月22日
義父にありがとう
同居して三十八年になる義理の父は九十六歳になりますが、とてもおしゃれで、出かける時は自分でコーディネートしています。「年相応に見えませんね。」と皆さんに言っていただき、それがまた若さの秘訣のようにも感じます。
自分のことはほとんど自分でやり、おしゃれをして元気に出かけ、毎日2万歩のウォーキングは欠かさず、毎月義母の月命日には片道2時間の霊園へ墓参り…。
とてもとても義父の真似は出来ないと脱帽です。元気な義父に感謝!
(品川区/K・K)
2013年01月20日
もちつき大会にありがとう
地域でもちつき大会がありました。そこはタクシー会社で毎年おもちをついていて、近所の人たちにつきたてのおもちをふるまってくれます。私もその日を心待ちにし、参加しました。
「ぺったん、ぺったん。」おもちをつく音が聞こえてきます。つきたてのおもちにあんこやきなこ、納豆、大根おろし等が用意され、自分の好きなものをつけます。お手伝いの人が、手際よくバットの中におもちを丸めてどんどん入れます。私はあんこやきなこをトレーに入れます。そばには豚汁が用意され、いいにおいが漂ってきます。係の人が大きめの器によそってくれます。白菜やきゅうりの漬物もあります。
みんなもらい、用意された椅子に座り食します。私はおもちがのどにつまらないように汁を飲みながらゆっくりと食べていると、前に座った八十代後半のおばあさんが「この豚汁おしいね。」と話しかけてきます。大きなお鍋の中には具だくさんの野菜がたっぷり入って本当においしいです。おばあさんは「家で一人分を作るので、こんなにおいしくなりません。」と言って、おもちをいっしょに本当においしそうに食べます。
トレーの中のおもちは食べきれません。ビニール袋に入れて持ち帰ろうとしたら、小さな子どもたちが大人の人たちにつれられて入ってきました。「子どもさんにはこのおもちゃをどうぞ。」と言って係の人が手渡しています。子どもたちは大きな声で「ありがとう!」と言って受け取っています。
みんなが喜んで参加したもちつき大会。タクシー会社の人たち、お手伝いの人たちにも、ありがとうと言いたいです。
(大田区/T・U)
2013年01月18日
つくしん坊くん、ありがとう
こんな事を言うと、雪国の方々には笑われるが、成人の日に大雪が降り、都心でも8センチもの積雪を記録している。予期せぬ事態に交通渋滞や、歩行中に足を滑らせたケガ人の続出などで混乱をきわめた。
その後も連日、凍えるような寒さが続いており、春は名のみの風の寒さや〜と、歌詞そのものである。
心身ともに暖かさを覚えるのはかなり先のようだが、そんな中、春の息吹を伝えるニュースを眼にした。
それは、大雪の翌日の新聞(朝日)に掲載されたもので、「荒川土手につくしん坊」とあり、写真は雪の下から、頭を持ち上げる2本の土筆が写っていた。
まだ大寒を過ぎたばかりである。いくらなんでも早すぎる。都内では早くても二月末だろう、恐らく、そそっかしい土筆が間違えて出て来たに相違ない。
今頃、寒さに震えていなければいいが。何れにせよ冷たい地中や、寒い大気の中で、それらを物ともせずに強く立ち上がろうとする動植物たちに声援を贈りたい。
雪国育ちの知人に言わせると、雪解けの頃に土の中から初めに顔を出すのは蕗の薹だそうで、それを合図に野や山の花々が一斉に咲き乱れる様が見られる歓びがあるから、雪に閉ざされた不自由な生活にも耐えられるのだと言う。
その寒さに耐えていた、梅の小枝には薄桃色の蕾が付き始めている。
春よ来い、早く来い、土手のつくしん坊も待っている。
(世田谷区/H・A)
2013年01月16日
雪かきをしてくれてありがとう
東京にも何十年ぶりの大雪が降りました。雪はどんどん積り、庭の木も綿帽子をかぶり、きれいな雪景色にしばし見惚れていましたが、雪はやみそうになく、雪かきをどうしようかと心配をしていました。
夜、大雪がやんだ頃、
「大丈夫か?」
と近所のおじさんの声が聞こえました。しかし、玄関に出てみても姿はなく、おかしいなと思い道路をのぞいてみると、おじさんがスコップを持っていて、
「明日、凍ると危ないから。」
と言い、一生懸命雪かきをしてくれました。
「寒いのに申し訳ない。」
と私が言うと、
「おれは雪国育ちだから、このぐらいの雪は平気だよ。」
と言ってくれました。
きれいに雪かきをしていただいたお陰様で、我家の前をみんなが安心して通ることができました。
おじさん、ありがとう。
(葛飾区/N・I)
2013年01月15日
ムクロジ
2013年01月12日
神社を支える人たちにありがとう
何の事はない神社と思っていたので、今年の正月は新社殿が完成して初めてのお正月と聞いて、卑しいながらも改修工事の費用をどうやってまかなったのだろうと思っていました。
初詣に行ってみると、新社殿の効果か例年以上の人たちが寒い中でも並んでいました。
そして、新社殿の脇で見たのは、改修工事へ寄進した方々の名前の入った看板でした。 そこには駅前の商店街の方々の名前がズラリと並んでいました。
私が気がついていなかっただけで、地元の人々がずっとこの神社を支えてくれていたことに気がつきました。
ありがとうございます。
(横浜市/M・K)