2012年12月29日

おおきに陽子

 私が小学六年生の時、末の妹は生まれた。夏休みの暑い日だった。
 妹は生まれた時から目が開かなかった。年寄り達からも名前をつけてもらえなかった。
 太陽の光が感じられる様にと「陽子」と母が名前を付けた。陽子は大きな声で泣き、大きな声で笑った。
 歩き始めた頃、大きく両手を広げて、広い家の中(田舎の家は広い)をかけ歩いた。柱にぶつかったり、縁側を通り過ぎて庭に落ちたりした。しかし、二度と柱にぶつかったり、庭に落ちたりはする事はなかった。横を向いていた年寄り達はかしこくて、かわいい陽子を離さなかった。
 陽子が7才になった時、年寄り達の反対を押し切って、両親は水戸の盲目学校の寮に陽子を入れた。小さい陽子が一度も家に帰りたいと言わなかったと母は話す。
 二十五歳になった頃、陽子は生まれた町に帰って来た。小さなあんまマッサージ治療院を開いた。盲導犬サリーをつれて、町の役場や郵便局と全部一人でやりきった。母も実家を弟夫婦に任せて、陽子の食事の世話やサリーの世話をした。
 私達が陽子の所に行った時は、仕事を休業にした。そして、私達の体をもんでくれた。私はもったいなくて「ありがとう。ありがとう。」と何度も言った。
 陽子は「恥ずかしいから、ありがとうって言わないでね。」と言った。妹弟が集まった時に相談して「おおきに陽子。」と言う事にした。
 今年の夏、陽子は六十歳の還暦を迎えた。母や姉兄弟が集まってお祝いをした。大きな花束を抱えて、陽子は嬉しそうに笑った。
 そしておどけた様に「おおきに。」と言った。
(目黒区/H・M)
posted by 1039 at 15:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●兄弟姉妹に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月26日

娘の笑顔にありがとう

 暑い夏の日に生まれた孫が六ヶ月になりました。
 すこしはいはいが出来るようになると、ママになった娘は大喜び。
「今度は早く立たないかなぁ。」
「歩けるようにならないかなぁ。」
と次々に望みます。
 そんな娘の笑顔を見て思わず、
「幸せだなぁ。」
と言葉に出ていました。
 娘の幸せに微笑みがこぼれます。
 ありがとう。
(品川区/N・K)

 
posted by 1039 at 09:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●息子、娘に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月24日

銀杏並木にありがとう

 一年のお疲れもかねて、ランチにと誘われていましたが、皆の都合がなかなか合わず、当初の予定よりも一週間遅れで、友人たちとランチに行ってきました。
 青山に銀杏がメインの特別ランチがあるとのことだったので、外苑前で電車を降り、店に向いました。ランチで美味しい豆腐料理と豆乳のデザートをいただいていると話もはずみます。
 大満足で店を出てると、外苑通りの銀杏並木が見頃とのことで、皆で立ち寄ることにしました。すると見事に綺麗に色付き、銀杏の冬支度が出来上がっており、とても見応えがありました。
 ランチが一週間のびたお陰さまで、美しく黄色に輝く銀杏を見ることができてラッキーでした。
 ありがとうございました。
(渋谷区/Y・K)

 
posted by 1039 at 14:16| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●うつくしい草花に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月20日

クリスマス

057ラクーア.jpg

 今年も、後楽園ラクーアにクリスマスがやってきた。

 
 真夏の節電運動は忘れ去られたかのように、


 電飾のシャープな光源のLED照明はまぶしく、
 

 遊園地に訪れる人々の心をワクワクさせているようだ。
 

 経木の船に盛られたカツオ節が踊るタコ焼で暖をとる人が微笑ましい。
posted by 1039 at 18:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 携帯 De ショット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月18日

相談にのってくれてありがとう

 義母が亡くなり十四年の月日が経ちました。私は心が休まる時がありませんでした。それは相続の問題です。
 主人の弟と妹が、「早く土地を売って、三等分して、お金にしてほしい」と言い出しました。主人の両親は先祖の土地を大事に守ってきたので、できれば私達も守っていこうと願っていましたので、落胆してしまい、同時に弟と妹の要求を黙って聞いている主人にも腹が立ち、嫁の立場も何もないんだと、虚しさで一杯でした。
 両親亡き後、弟には生活のすべてを援助し、共に生活してきたことも重なり、弟と妹を快く思えなくなりました。でも息子が弟に「お母さん、頑張っているんだから助けてあげてほしい。」と言ってくれて、息子の優しさに心がはっとしました。
 実家の母が言っていた「弟さんを大切にするんだよ。」との言葉を思い出し、それからの一年間、夜の食事を届けるようになりました。いつしか主人や息子よりも弟に気を遣うようになり「やらねば」との思いから、精神的にも疲れ、突然原因不明の目まいがおこり、病院に通い、治療することになってしまいました。半年間治療し少しずつ回復に向かっています。
 そんな時、主人の知り合いから、A不動産のH社長を紹介していただきました。H社長は我が家のすべてを何時間もかけて聞いて下さりました。
「この土地が三人分に分かれているとは、調度よくなっていますね。妹さんと弟さんに売った分は受け取らず、そのまま全部を『二人には幸せになってください。』と送りだしてあげなさい。そして、息子さんには弟さんに可愛がっていただいたことを話してあげなさい。家を壊す時も呼んで、両親の命日とお彼岸、お盆にはお経をあげに来て下さいねと言ってあげなさい。」と話してくださいました。
 話を聞きながら私はとめどなく涙が溢れ、心が軽くなりました。H社長は嫁いでからの苦労を受け取って下さり、頑なになっている心をほぐしてくれました。三十年間の肩の荷が下りたようで、本当に楽になりました。H社長、ありがとうございました。
 周りの人には「近頃お顔が変わりましたね。」と声をかけていただくようになり、本当に毎日楽しく過ごしております。心から救っていただき、ありがとうございました。
(目黒区/S・A)
posted by 1039 at 11:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●先生へ…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月12日

干支土鈴にありがとう

 12月に区民センターで集いがありました。講演は写真家の方が行い、アジアやアフリカの子供たちや、そこで生活する人々の様子を、また、戦争や内乱を経験している人の姿を、愛情を持って記録し、私達に伝えてくれました。
 放映された映画は鉄の女と言われたイギリスの元首相、マーガレット・サッチャーの話です。妻であり、母であり、一人の女性であり、首相という、一人何役もこなしたあのサッチャーです。会場は満席で熱気に溢れていました。
 その会場に入る前に、何といっても人気は障害をもつ人たちが作る来年の干支の土鈴です。ほとんどの来場者はかわいい土鈴を楽しみにしています。巳の土鈴を無料でプレゼントしており、手にして耳のそばで鳴らすと「チリンチリン」とやさしい音色が聞こえます。もらった人たちからは思わず笑みがこぼれます。
 作った人たちが直接配ってくれるので、一気に人が集まると「ゆっくりゆっくり」と歌うように言って、のんびり渡してくれます。
 この土鈴は年が明けるともう翌年の製作に取りかかります。一年かかって12月に配ってくれる貴重な品物です。
 土鈴を手にすると福が巡ってきます。企画してくださった方々、干支土鈴を製作しくださった福祉工房の皆さま、ありがとうございました。巳年もよい年でありますよう祈っております。
(品川区/M・H)
posted by 1039 at 13:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●素敵な贈り物に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月06日

孫たちにありがとう

 孫から結婚式の招待状が届き、傘寿を迎えた私にとって、孫の結婚式に出席できるとは、なんとありがたいことだろう。小さい頃の孫を想い出し、立派に成長し、素敵なお相手が見つかった…本当に嬉しいことです。
 数日後、孫から電話があり「披露宴の中でおばあちゃんと一緒に歩きたい。」と行ってくれました。孫と一緒に歩けるなんて思ってもいないことでしたので、嬉しさのあまりに「おばあちゃんでいいの。わかったよ。」とすぐに返事しました。
 当日、挙式での孫の姿は凛々しく、胸がいっぱいになりました。いよいよ、披露宴が始まり、孫と歩く時が来ました。二人で並び腕を組み、皆さんにむかってご挨拶をし、皆さんから沢山の拍手を頂きました。
 この最高の喜び、最高の幸せを私に贈ってくれた孫にありがとう。
 式の終了後、二人の孫が「今日、おばあちゃんの家に泊まりに行くよ。」と言ってくれました。それは、一人暮らしをしている私を心配してのことです。孫たちの優しい心に感謝の涙です。
(府中市/H・K)
posted by 1039 at 13:16| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●孫へ、甥へ、姪へ…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月03日

アメリカのゴルフ環境にありがとう

 私は仕事の関係で、三年前にアメリカのオハイオ州に転勤し、五十歳でゴルフを始めた。
 日本にいるときは、会社の上司、友人からゴルフに誘われてもずっと断り続けていた。
 まず、なぜゴルフをやる気がしなかったのか。まだサラリーマンになった若い頃、サラリーマンの必修科目としてゴルフは必要と思っていた。そこで練習場に通い始めた。しかし、球に当たらない。当たっても思った様に飛ばない。何が楽しいのだろう。また、コースでのプレーは丸一日がかりで料金も高かった。
 アメリカに赴任したとき、前任者から歴代の所属長が受け継いできたゴルフコンペの責任者を引き継ぐこと、という申し送りがあった。
 ゴルフ道具まで用意されており、始めざるを得なかった。しかし、始めてみて驚いたことは、料金が安い、昼食休憩がなく、1番ホールから18番ホールまで連続でプレーするので、9時に開始すると2時には終了。歩いてプレーもOKである。実際に歩行距離は約8q。とても良い有酸素運動であるとともに、景観も美しいので良き気分転換になることがわかった。
 また、一人でプレーを当日申し込んでも快く受け入れてくれる。
 混んでいるときはアメリカ人の二人や三人のグループに混ぜてもらってプレーするのだが、これも楽しい。 ゴルフ用語含め英語の勉強にもなるし、初めて会った人たちと仲良くなれるのが、ゴルフの良い点であることを実感する。
 私にゴルフの楽しさを教えてくれたアメリカのゴルフ環境に感謝したい。       
(オハイオ州/H・M)
posted by 1039 at 06:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●スポーツに…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする