今日も、猛暑になるとの予報がでた。もう、うんざりである。この暑さに辟易しているのは、齢の所為もあるだろう。
少年時代を振り返れば、暑さなどは物ともせず、腕白仲間と、遊びほうけていたのだから。
子供の頃は、中目黒に住んでいた。まだ戦後間もない頃で、みなが貧しく、食べ物にも不自由していた時代だが、子供たちは、親の苦労も知らず、いかに楽しく遊ぶかが問題で、今日のようにTVやゲーム機もなく、無いなりに工夫をして遊んだものだ。
その頃の中目黒は、雑草の生い茂る空き地が点在しており、自動車なども、滅多に見ることもないので、子供たちは安心して、外で遊べたのである。
小学校が夏休みに入ると、隣近所の仲間たちを、誘いあっては、ある日は目黒川での川遊び、またある日は諏訪山や、西郷山での昆虫採集などと、疲れも知らずに跳びまわっていたものだ。
目を閉じれば、あの頃の情景が浮かぶ。六年生の光ちゃんを先頭に、白い網、モチ竿、虫かごなどを持った、下級生五人がつづくのだが、彼らと何時も行動を、共にする奴がいた。
大きな茶色の秋田犬で、名前は「ジロ」といった。
みなの後ろから、尾をゆらゆらさせながら付いてきて、みなの仲間だと思い込んでいたようだった。
採れるのはトンボや蝉、蝶が主だったが、稀にかぶと虫や玉虫が、網に入ると歓声があがった。
そういえば、ここ数年、蝉の声が少なくなったと聞く。あまりの地上の暑さに、蝉たちも耐えられなくなったのだろうか。
少年時代の、あの日あの頃、ぼくと遊んでくれた光ちゃん、勝ちゃん、義男ちゃん…次々に浮かぶ顔、顔、顔、…半ズボンにランニング、麦わら帽子が目に浮かぶ。
今頃どうしているのだろう。みなが元気でいることを祈るばかりである。
少年期、あそんでくれたみんな、
あ・り・が・と・う。
(世田谷区/H・A)