2011年04月29日

先生、倒産回避ができました。ありがとう

思えばリーマンショックから2年半。

売上高が一気に7割減少。7割になったのではなく、それまでの売上の3割になってしまったです。

途方に暮れ、税理士に相談したら企業再生支援をしているカウンセラーを紹介されました。

初めは、こんな事で経営再建ができるのかと少々不安でしたが

今まで自分では作ったこともなかった財務分析や事業計画書の大切さを教えていただきました。


港区の特別融資の相談窓口に提出し、何を聴かれるのかとハラハラドキドキしていましたら

担当の方に
「分かりやすくまとめましたね・・・・。このようにきちんと数値化されているのは珍しい」と褒められ

質問されても自分で資料づくりをしていたので

戸惑うことなく総て説明することができました。

港区の受付はパス、融資申込書と一緒に銀行の担当者に手渡すと

その担当者からも
「社長、ありがとうございます。この資料ならバッチりですよ」と絶賛。

財務資料づくりは大嫌い(苦手)だった自分でしたが

資料づくりが自分でできるようになったことは大きな体験でした。


その後も、自分では気づかなかった問題点をチェックしていただき

倒産することなく健全経営の意識に目覚めさせていただきした。


ありがとうございました。

これからも宜しくお願いいたします。

(港区/O・K)
posted by 1039 at 07:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●先生へ…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

●両親にありがとう

 私はシングルマザーとして生きてきました。

両親が亡きあとは得意の裁縫と洋服のリフォームをして息子を育ててきました。今では男女二人の孫にも恵まれました。

 父は30年以上前に、そして母は10年以上前に亡くなったのですが母が亡くなったときにある事実を聞かせてくれました。

 父は教育者でありました。そんな父を頼り相談に来る方も多く、実はある事情がある方の子を実子として育てた。あなたは実の子ではない。というものでした。

 私はショックを受けましたが、すでに大人の私はそのことに動じることもありませんでした。

 今でも育ての両親を親として感謝しています。子供の頃も父は一切その事実を伏せて私を本当にかわいがってくれました。そして父は墓場までその事実をもって行ってくれたのです。

 子供の頃よくあそびに来ていたおばちゃんが実のお母さんだったようです。その方の家系は着物や衣服、今でいうアパレルの家系だったそうです。

 私も知らないうちにその道にすすんでいるなんて・・。親子の縁を感じます。

 実のお母さんありがとう。

 そして天国のお父さんお母さんありがとう。

(横浜市/H・O)

posted by 1039 at 08:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●父さん、母さんへ…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

●250年の伝統技術にありがとう

 先月、祖父のお葬式があり、そのあとで遺品の整理を行っていると、部屋からクラシカルな雰囲気の漂う腕時計が見つかりました。

 どんな時計なのかはよく分かりませんでしたが、形見として取り敢えず貰っておくことにしました。

 その後、私も今年で40歳になるいい大人なので一つくらいかっこいい物を身につけておきたいと思い、修理を依頼しに行きました。

 しかし、地元の時計屋では引き受けてもらえなかったので百貨店に見せに行くと100年以上前の物だということが分かりました。しかもそのメーカーは創業250年以上の歴史がある物凄く有名なところだということを聞いて驚きました。

 それでも物がしっかりしているので直ることが分かり、更に驚きました。
「250年前というと、日本人は刀を持ってチャンバラしていた時代ではないか…」と想像がつかない凄さに驚いてから数カ月するうちに傷や痛みがあった面影は全くなく新品同様のものが帰ってきました。

 時代がどれだけ変わっても大切な技術や精神は受け継がれていくのだということを実感しました。そんなことを思わせてくれた天国の祖父と250年も受け継がれている伝統技術にありがとうと思わず感謝したくなりました。

 ありがとう。

(鎌倉市/W・O)
posted by 1039 at 08:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ●愛用の道具に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

●新しい家族にありがとう


 仕事一筋でわき目も振らずに、20年間一心不乱に頑張ってきた私も気がつけば40代半ば。

今まで支えてきてくれた家族に「そろそろサービスも充実させなければいけない」と思いどうしようか考えていました。
 
しかし、いつも遅く帰ってきたり、休日も取引先との付き合いがあったりしたこともあり、家族との話題がありません。
 
妻とは話は普通にできますが、
高校生の二人の娘達は年頃ということもあり、本当に分かりませんでした。


息子だったら一緒にスポーツをしたりして時間を過ごすこともできたのかもしれませんが、

父親にとって娘というのはかわいくもあり、接し方が難しくもあるのでどうしても妻に任せっきりになっていました。
 
そんな時、同僚が猫の子供が生まれたから引き取ってくれないかという話がありました。

私は軽い気持ちで承諾したのですが、自宅に連れて帰ると娘達は大喜び。

更に、家族の中で最も懐いてくれるのが私だったので、娘達に羨ましがられたりして、自然に会話が生まれてきました。
 
あれだけ真剣にどうしたらいいか悩んでいたのに、

子猫一匹で我が家の何もかもが変わってしまったのですから嬉しくもあり、馬鹿らしくも思えました。
 
新しい家族が我が家に来てくれたおかげで、家庭の雰囲気は大きく変わりました。どうもありがとう。


(渋谷区/K・K)
posted by 1039 at 23:41| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ●我が家のペットに…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

●長男夫婦にありがとう 


私は3月11日の地震と津波で被災しました。

もともとは福島県のいわき市四倉町で代々旅館をやっていましたが、近年廃業して東京在住の息子夫婦のアドバイスで家を新築しました。
 
その日地震の後大きな津波が襲ってきました。

我々の家は海岸の四倉漁港(道の駅)のはす向かいでした。

津波がとおりすぎたあと周囲の建物はすべて流され海岸線の道路には漁船が打ち上げられとても生きた心地がしませんでした。

幸い我々の家は息子のアドバイスのおかげで一階部分は破壊されてしまったものの、

我々夫婦は2階に避難していたので無事でした。

その晩救助隊の方に助けていただきました。
 
しかし、原発の問題で避難警報が出るし住む家もない。とても不安で長男に連絡を取ろうにも電話も繋がらないので途方にくれていました。

ところが・・・震災後3日目に長男が通行止めを突破して東京から迎えにきてくれたのです。

我々夫婦は今長男の家に同居させてもらっています。

震災前には同居するとは思ってもみませんでした。
しかし不思議なもので同居させてもらえることになり、
そして息子夫婦の優しさも感じる事ができました。こうなったら老夫婦二人で余生を東京で楽しもうと思います。

親戚もいますしね。みなさんに支えていただいて助かりました。ありがとう。

(福島県いわき市、現世田谷区/M・T)

posted by 1039 at 23:37| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ●息子、娘に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月15日

●税理士法人西川会計様  春日部市蛭田中央自治会 (570名)様 本当にありがとう

 まだ、ながーい悪夢から覚めやらぬ状況を、現実に置き換えなければと、必死にわが身に寝返りを打っている。

 そう、災難状況はさまざま、どの状況がひどい、どの地域がひどいとは、一言で言い尽くせない。命があるだけ運がよかったと思うほかない。

 私の故郷は、福島第一原子力発電所近隣で3q圏内に住居がある。

 三月十一日の大地震後余震は頻繁にくるが、少し落ち着きを払っているところに、午後十一時頃放送があり、原発の水位が下がっている、大丈夫ですが安全のため3q圏内はただちに中学校の体育館に避難するようにと指示があった。

 翌朝方午前八時頃、状況が悪化したのか、20q離れた避難所へ移動を余儀なくされた。2〜3日で帰宅できるものと安心していた。というのは、原子力発電所は安全というシナリオを子供のころから原発のショールームに見学、模型にて説明され地元の人は疑う事など一切なかった。

この移動した日から今日のこの日まで、このような状況になることは、誰もが想定外。一週間後には何とかなるだろうと、祈っていたが無残にも祈りは届かなかった。

 だんだん状況は改善されるどころか、悪化するばかり、兄妹を何とか埼玉県にと思っていたところ、税理士法人西川会計事務所会長、所長、副所長から豊春の倉庫とおっしゃっていただいた一軒家を快くお借りすることが出来ました。いえ、倉庫とおっしゃっても立派な一軒家で3家族、85歳のおばあちゃん、5歳の子供を含む畳の上での生活が出来るようになりました。本当に有難く、感謝しております。

 お風呂も追いだきができ、疲れた心と体をゆっくり温めていただくことが出来ました。本当に感謝の一言だけでは言い尽くせません。
 また、いつまで滞在するか不透明、下蛭田の地元でのルールもあるので、早速近所へ挨拶に行こうとしていた矢先、近所の永田様の方から、近隣ゴミ出しルールの資料をいただき、丁寧に説明していただき、困った時何でも相談して下さいと優しく声をかけてくださいました。まるで、自分の家族のように。涙が止まりませんでした。

 それから、約一週間後の三月二六日に突然、春日部市下蛭田中央自治会の方4名様(副会長岡部登様・総務部長細井隆治様・総務副部長小林秀男様・永田幸太郎様)がいらしていただき、見舞金をいただきました。

 中には「私たち自治会からのほんの少しの気持ちでやったことなのでまったく気にしないでください。

皆様もそう言っていました」と、メッセージがあり、気遣いをしないようにとの配慮、暖かい心のメッセージでした。

近所の自治会長永田様が私たちのことを中央自治会に紹介していただいた温かい行為だと思います。

下蛭田中央自治会の皆様、永田様本当ありがとうございます。他にも近所の方から雨が降っていた時傘をいただいたり、
今、出回ってないからとマスク・ティッシュ・トイレットペーパー・野菜など、ある方は家族が多いからと、娘が置いて行ったという、
洗濯機を貸していただきました。ご厚意を無駄にしないように使わせていただくことにしました。川に垂れ流ししないよう、パイプでつなぎ下水を調べて排水するようにしました。今まで約20分歩いて行っていたコインランドリーでしたが、
大変助かりました。団体避難民から外れている私たちを暖かく迎え入れていただいてる下蛭田地域の方々、本当に感謝しております。

長丁場になるかと思われますが、地域に少しでも溶け込めるよう私たち皆で頑張り、努力いたしますので今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

この感謝の気持ちは一生忘れません。

本当にありがとうございました。

(福島県双葉郡大熊町/吉岡和男)

posted by 1039 at 23:27| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ●みんなに…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月05日

●平和な世の中をありがとう

 私はサイパンの近くのテニアン島にすんでいます。毎朝愛犬を連れて散歩をするのが日課です。

散歩の途中の場所には昔日本人の方が造った神社とお地蔵さんがあります。

神社の境内には南方の桜が咲き乱れ今の季節はとてもきれいです。
 
その昔テニアンは太平洋戦争時の日本軍の基地でした。

多くの日本人の方が玉砕した場所です。そのお地蔵さんの場所もどなたかが亡くなった場所なのでしょう。

だからいまだに毎年多くの方が日本からお参りにみえます。
 
この間、見慣れたお地蔵さんに手をあわせて通り過ぎようとした時、2体新入りの小さいお地蔵さんがいることに気づきました。
 
とてもかわいいので思わず家に持ち帰り赤いよだれかけを作ってさしあげました。
 
今の平和でのどかなテニアンを歩いていると60年前の悲劇はとても信じられない出来事です。

多くの方が亡くなった事などなかったかのようにテニアン桜が咲き乱れております。
 
その悲劇を子孫達への戒めとして残せるよう、そしてなくなった方々のご冥福を心からいのっております。
 
日本では東北関東大震災により多くの方が犠牲になられたそうです。

亡くなられた方々のご冥福と早期の復興を心からお祈りしております。

(テニアン在住/Michi)
posted by 1039 at 23:34| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ●ハートフル・コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月01日

●友人の気遣いにありがとう

 私は高校のサッカー部中心の3年間を目指していた一人でした。しかし、最後の大事な時期に足を骨折してしまい、最後のシーズンは毎日悔しい思いをしました。

 それから必死に勉強して第一志望の大学には進めましたが、どこかスッキリしない気持が残っていました。

大学一年目の夏休みに、高校のサッカー部の友人からみんなで富士山に登山しないかと言われました。久しぶりにみんなで会えるし、体力には絶対の自信があったので余裕な気持ちで約束しました。

 しかし登り始めると、体が徐々に重くなるだけではなく、酸素は薄さが体力を奪って、想像以上に過酷なものでした。特に八合目あたりからは酸素を吸ってばかりであれだけ大口叩いて自分が恥ずかしくなってきました。自分よりも年輩の人達に追い越されていく姿を情けなく想像しながら、醜態さらして意地で歩いて行きました。

 漸く登り、ご来光を見たときの気持ちは言葉には言い表せないものでした。雲より高い山頂で仲間全員と見た景色は忘れられません。
 恐らく友人たちが気の抜けた私の姿を見て考えてくれたのでしょう。あの時はありがとう。 
 (山梨県/N・S)
posted by 1039 at 23:30| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ●お友達に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする