私の主人が亡くなった時、私は何もする気が起きずに悩んでいました。
その時、近所の女性の友人が私の話をただただ聞いてくださいました。
「うんうん、そうだねわかるよ、つらかったんだね」
女性はただただうなずいて聞いてくださるだけでしたが、その後私は立ち直る事ができました。
先日、「傾聴」の意味を知りました。私は友人に傾聴してもらって救われたのです。
これからは私も傾聴出来る人間になりたいです。
(世田谷区/E・S)
2010年02月26日
●話を聞いてくださったお友達にありがとう
2010年02月24日
●お父さんありがとう
私は今年定年になりました。幸いにも嘱託として会社に残ることにもなりました。
これからは第二の人生を楽しもうと思います。
父は上水道関係の会社を経営して財をなしました。しかし、父には母とは別にお妾さんがいました。
その方との間には子供もおり、別宅で暮らし本宅にはたまに帰ってくるだけでした。
そんな父に反発して嫌い、社会人となる私は経営者の道は歩まず、会社員としての道を選択したわけです。
会社員になってからの私は業績と実力を買われ色々な会社からお呼びいただき現在にいたっております。
会社員としては幸せな人生であったとおもいます。
今思うと私には経営者としての父のDNAが流れていたからこそ会社で実績がのこせたのだと感じます。
そしてなにより父は人に優しかった。だから女性にももてたのだということが解ってきました。
私は父の子として生まれて感謝出来るようになりました。
これからは人に優しく今まで培ったノウハウや技術を後輩や皆さんに受け継いでいただけるような仕事をします。ありがとう。
(目黒区/M・N)
2010年02月16日
●旅館のおかみさん ありがとう
以前、同級生の親友がなくなりました。その友人を偲んで同級生が集まり、山形のかみのやま温泉へ旅行にゆきました。
女同士昼間は姦しく道中を楽しみました。
しかし夜になると親友との思い出がこみ上げてきてみなすっかり気分がしずんでしまいました。
夜泊まった旅館のおかみさんがご挨拶にみえました。私たちの旅行のわけをお話しました。
おかみさんのお父さんも先日亡くなられたそうです。
「私はこの曲で悲しい気持ちがいやされましたよ」
と新井満さんの作曲された「千の風になって」お話をきかせてくださいました。
宮崎駿さんのアニメで曲が紹介される前の話です。
おかみさんはCDをお部屋に持ってきてくださいました。
その夜はみなでしんみりと思い出を語り、とてもすてきな時間をすごさせていただきました。おかみさんありがとうございます。
それからずうっと私にとって新井満さんの詩や作品はいつも私の心の癒しとなっています。
[千の風になって]
私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように
きらめく雪になる
朝は鳥になって
あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません
死んでなんかいません
(横浜市/T・K)
2010年02月14日
●銀行で列に並んでいた男性にありがとう
給料日を少し過ぎたある日、銀行のATMには列ができていました。
その列に並びながらぼんやりしていると、忘れものをしてきたことを思い出しました。
せっかく並んだのだから、お金をおろしてから忘れものを取りに行こうと考えているうちに順番がまわってきました。
お金をおろし銀行を出て数メートル歩いたところで、うしろから声を掛けられました。
「カードをお忘れになっていませんか?」その男性の手にあるカードにはわたしの名前がありました。
きっと、忘れものに気をとられていてATMのあたりに落としてしまったのでしょう。
「ありがとうございます。助かりました」そう口にした途端、男性は“いえいえ”といった身振りで銀行のほうに戻っていかれました。
きっとわたしのあとにATMを利用しようとなさり、わたしのカードに気づかれてすぐ、わたしを追ってきてくださったのでしょう。
またあの列の後ろに並び直されたのかしら。
そう思うと気の毒になると同時に、その方の優しさに一日心が温まりました。
わたしに明るい一日をくださって、どうもありがとうございます。
(東京都文京区/E・S)
2010年02月11日
●むすめ達にありがとう
先日のバレンタインデーにむすめ達が主人にかわってプレゼントをくれました。
次女は欄の花とチョコを、長女は50ドル紙幣をプレゼントしてくれました。ありがとう。
普天間基地移転問題で揺れ動くテニアン島からでした・・・。
そういえば先日も日本の議員さんがいらしてました。
私を現地人だと思ったのか機密事項を大声で話されていました。(笑い)
(テニアン島/MICHI)
2010年02月08日
●兄にありがとう
若い頃の私は常にとげがあり、人とぶつかってばかりでイガグリのような性格でした。
社会人になって何度も転職してはトラブルを起こしていました。
そんな私に転機が訪れたのは5年程前に仕事で事故にあって九死に一生を得た時の事でした。
私には兄がいます。真面目で無口な兄ですが、常に私を見守ってくれていました。さりげなく、一言アドバイスをしてくれたり、生き方の哲学書を置いていってくれたりしていました。
思い起こせば青年になってからずっとです。
最初はめんどくさくて反発して読んでもでもいなかったのです。
しかし、あまりにトラブルに巻き込まれるし・・・事故を起こした頃には内緒で少しだけ目を通すようになっていました。
自分の生き方に問題があるんだということは内心わかってましたし。
入院先にお見舞いに来てくれた兄は「命があってよかった。おれはおまえが生きていて嬉しい」と心配して泣いてくれました。
事故の原因は私の不注意でした。怒られると思っていた私は戸惑いました。しかし兄の思いやりがうれしくて、今までの自分が恥ずかしい思い出いっぱいになりまいした。
兄貴を見習ってまっすぐに歩いてみるよ。心配してくれてありがとう。
(目黒区/A・H)
2010年02月06日
●お客様にありがとう
先日、若夫婦ご一家のお住まいの購入のお仕事を手伝わせていただきました。
それまでは奥様のご実家の近所にお住まいでした。
夫のご両親が病気になられたことから夫の実家の近くへ引っ越しされたのです。
今回、仕事のご縁を通して女の子を持つ親の気持ちや、男の子の親としての気持ち、そしてなにより親孝行の大切さを学ばさせていただきました。
私も自分の両親との係わり、そして長男長女との係わりを見直すキッカケにして、家族を幸せにしたいという熱い想いが湧いてきました。
家族への思いやりを学ばせていただきありがとうございました。
(ありがとう不動産 豊田泰幸)
2010年02月03日
●恵方巻にありがとう
私の家ではいつの頃からか節分の日には恵方巻を食べることが恒例となっています。
本来であれば、年ごとに決まった方向を向いて一本食べきるまで一言も話さずに食べるのが正しい方法なのだそうです。
しかし、我が家では一本食べきるまで黙って食べることができない人間ばかりなのか、恵方巻といっても結局は各自が思い思いの手巻き寿司を作っては食べるといった形になってしまいます。
本来のやり方とは違ってしまっていますが、それはそれで「次はこの具を入れてみよう」「具を入れ過ぎて上手く巻けない」等々、日頃の食事以上に会話が増えることとなります。
我が家にとっての節分・恵方巻は家族団欒の夕食を持たしてくれるものなのです。
笑う門には福来たるといいますが、節分の日にはさっそく我が家には福が来ていると実感しています。
毎年楽しい家族団欒の場を与えてくれる節分、そして恵方巻にありがとうと言いたいと思います。
(ありがとう・不動産/木戸晶裕)