2009年12月12日

◆友人と亡き父にありがとう

◆友人と亡き父にありがとう

 昨夜私の大事なお客様が亡くなりました。大のお酒好きでした。余命が長くないと宣告された時に「赤霧島」というお酒が飲みたいとおっしゃるので、ネットや酒屋を探しました。
ところが、酒はみつからず、ふと思い出したのが宮崎の友人の事でした。
 留学時代の先輩を通して知り合った友人です。彼に電話して事情を説明すると親戚の酒蔵がその製造元であり、便宜をはかってくれておくってくれました。 
 私のお客様はたいそう喜んでくれました。「ありがとう」と何度もお礼を言われました。その後、半年といわれた余命をはるかに超えて命を全うされて、昨夜なくなられたのです。
 ひょっとして余命が伸びたのはそのお酒のおかげではないかと感じています。
 先日私も父を亡くしました。思えば留学時代の先輩や友人に知り合えたのも父が渡米を許してくれたからです。 父は華道の家元で私に継いでもらいたかったはずです。
 私は今、留学時代の語学と知識を活かして金融の仕事をしています。
 友人や家族にも恵まれとても幸せです。お父さん僕を育ててくれてありがとう。宮崎の友人そして先輩僕と縁となってくださってありがとう。
  (港区 南麻布 K/SAKAI)





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2009年12月10日

◆●友人とお母さん先生にありがとう

◆友人とお母さん先生にありがとう




 私は最近部活の同級生の友人に無視されていました。理由は分からないのですが、私が来るとみんながヒソヒソと話し合いはぶかれて練習以外の時間はいつも一人で。嫌がらせのメールも来るし。そんな日々が続いてすっかり落ち込んでしましました。膝を故障して痛みはあるし、練習には行きたくないし、転校したとまで考えました。
 そんな時、部活以外の友人が声をかけてくれました。「最近いつも一人ね大丈夫?つらくない?一緒に遊ぼう。」とやさしく接してくれました。でも学校の時間は楽しくても放課後の部活は一人の時が続きました。
家に帰るとお母さんが私の様子を見て「どうしたの?最近なにかあったの?」事情を話すと「みんな焼きもち焼いているのよ。元気を出しなさい。」と励ましてくれました。
 学校の三者面談の時、お母さんと一緒にお父さんもついて来てくれました。
 担任の先生が「最近どう?先生は気づいていたよ。つらくない。」と聞いてくれました。先生は気づいていたようです。その後、部活の友人達からのいじめは止まりました。どうも他の生徒にいじめの対象が移ったようです。私は絶対にその仲間になんか入る気はありません。だって虐められるのはつらいです。お母さんが言っていました、「自分がされていやなことは人にはしてはいけないよ。」見守ってもらって幸せです。ありがとう
        (横浜市 S/T)





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2009年12月08日

◆おじいちゃんありがとう

◆おじいちゃんありがとう

99歳になる祖父が天寿を全うしました。
春まだ浅い3月、庭のうぐいすがようやくたどたどしい鳴き声を聴かせはじめた頃、もうすぐ、暖かくなって、桜の咲く頃には「また、出かけられるね。」
そう思っていたころでした。
祖父は好奇心旺盛、常に活動的。亡くなる半年前まで猛暑のなか、毎日ひとりでバスに乗り、行きつけのおそば屋さんとカフェに出かけるのが日課でした。
いろいろおぼつかなくなってきた自分の「生」へ挑戦する、強い意志が祖父の背中には感じられました。

父親を早く亡くした私にとって、祖父は父親同様の存在。そして私の娘や息子にとっては、「ひいおじいちゃん」であり偉大なる「ゴッドファザー」でした。
息子が身体障碍をもって生まれてきたとき、祖父は私には何も聞かず何も言いませんでした。
何も言わず、祖父は息子の成長を祈る巡礼の旅をしていました。
すでに80歳をゆうに越えた年齢でした。
ひとりで八十八か所札所を巡り、その道行きのすべてを写真におさめ、紀行文に残してくれていました。
「楽しかったよ。」と笑顔の祖父と話す私は、ながいながい暗闇のトンネルを抜け出し、やっと息子の療育を楽しめるようになっていました。
私はひとりでがんばってきた、と思っていたのです。
祖父は黙って、祈りながら、支えてくれていました。
息子は不便を抱えながらも、飄々と明るく生きる術を身につけて育ちました。
おじいちゃん、ありがとう!
天国のおおきいお母さん(祖母)に会えましたか?
    (千葉県袖ヶ浦市 Y子・R)




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2009年12月05日

◆高校時代の友人にありがとう

◆高校時代の友人にありがとう

 最近私は落ち込んでいました。些細な事が気になって、頭から離れずなやんでいました。そんな私の話を高校時代の友人が黙って聞いてくれました。かれこれ友人との付き合いは40年になります。聞いてもらってすっきりしました。
娘が来春嫁いで行くこと。母の介護や過去からの想いが交錯して自分を苦しめていたのだとわかりました。
 悩んでいた事が嘘のように昇華して登ってゆきました。そして残ったのは無き義理の父への感謝の気持ちと今でも元気な義理の母への感謝。
私たち夫婦があるのは義理の父がのこしてくださった土台のお陰様で家族があるのだと感じさせていただきました。
 私の話を聞いてくれてありがとう
         (三鷹市 M/T)


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2009年12月02日

◆おばあちゃん任せてくれてありがとう

◆おばあちゃん任せてくれてありがとう


 私は今年の四月に不動産会社に就職しました。
これまでは上司の仕事を補助しながら仕事を一日でも早く覚えることが仕事でした。
上司の仕事を見て一通りの流れを理解したつもりでも、実際に自分で仕事をするとなると不安があります。
しかし、まずは周りのサポートを受けながらでも自分で仕事をしてみないことには成長しないのです。
そんな時、私の祖母が母親から相続したものの使っていない土地を処分したいとの話がありました。
祖母の母は私にとってはひいおばぁちゃんにあたります。その土地は、小さいころ夏休みに何度も遊びに行った思い出の土地でした。
そのような思い入れのある土地でしたので、私自身が処分に関わりたい気持ちがありました。
その一方で、経験豊かな人に売買を任せた方が祖母も安心なのではとも思いました。
そのように考えていることを祖母と話していたら、祖母は「あなたの勉強になるのであれば、多少結果が思うように行かなくてもかまわないからやってごらんなさい。」と売買を任せてくれました。
まだ未熟な私に大切な土地を任せてくれてありがとうございます。
満足のいく結果となるよう全力で取り組ませていただきます。
(鰍りがとう・不動産 木戸 晶裕)




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