2008年08月08日

●おばあちゃん…ありがとう

●おばあちゃん…ありがとう

 おばあちゃんへ

作文−1.jpg


 いつもとまりにいったとき、たくさんあそんでくれて、ありがとう。
 こうえんで、ブランコやシーソーでたくさんあそんでくれてありがとう。
 ぼくはおばあちゃんがだいすきです。 これからもげん気でなが生きしてください。


  (東京都目黒区/せのかずき 小一)



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2008年08月05日

すてきな言葉を教えて下さったお客様に…ありがとう


●すてきな言葉を教えて下さった
       お客様に…ありがとう


 先日、不動産のご相談でお客様のご自宅にお伺いしたときのことです。
 子供の頃から住んでいらしたというので古く懐かしい土地のお話もたくさん聞かせていただき、不動産の仕事に携わっている者としてはとても参考になるお話しをばかりでした。打ち合わせが終わり帰り間際に、「先日は、メガネ拭きをありがとう。これは私がワープロで打ち直したものですけど、 よろしかったらどうぞ…」と下さったのが「つもり違い十か条」の言葉でした。それから事務所の机の前に貼って何度も読み返しています。

tsumori-2のコピー.jpg


 すてきな言葉をありがとうございます。
    (  横浜市/Y・T)



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2008年08月01日

●お弁当をつくってくれた乳母に…ありがとう


●お弁当をつくってくれた
     乳母に…ありがとう
 


 私は物心ついた時から少年になるまで乳母に育てられました。両親は多忙なので、幼稚園のお弁当はいつも乳母が作ってくれます。朝早くから割烹着を着てお弁当を作る乳母の姿が思い出されます。
 幼稚園でお弁当の時間になっても私はお弁当を開けられない変な子だったそうです。
 それというのは、年配で未婚の乳母が私につくってくれるお弁当は、他の子供たちのお弁当のおかずと比較すると劣るものに感じられたからです。
 みんなのお弁当には、タコソーセージやハムやキュウリといった色とりどりの具材がならんでいます。
 自分のお弁当のおかずをみんなに見られたく無かったから、幼稚園ではお弁当を開かず、帰宅するまで空腹をこらえていたのです。
 家に帰るなり、乳母に隠れて急いで自分の部屋にはいりガツガツとお弁当をほおばる変な子でした。幼稚園の先生たちも頭をかしげていたようです。
 でも私は、乳母のお弁当のおかずは大好きでした。特に肉の味噌漬けと、ごま油で焼いた卵焼きでした。私はそれが大好きで今でも私がお弁当を作る機会があると必ずいれています。
 その乳母は、私が少年になった頃に、突然私の前から消えてしまいました。
 今どこにおられてご存命なのかすらもわかりませんが、あの時においしいお弁当を作ってくだり、親代わりに育ててくださったことに、心からありがとうと申し上げたいです。
      (神奈川県横浜市/L・C)
 


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2008年07月25日

◆おにぎりを持ってきてくれるお友だちのお父さんにありがとう


◆おにぎりを持ってきてくれる
  お友だちのお父さんにありがとう


 私は小学六年生の女の子です。お友だちといっしょにバスケットボールをやっています。
 先日、近くの公園で夜まつりがありました。その夜まつりは二日間あって、私は両方とも行ったのですが、初日はバスケの練習のあとだったので「縁日で食べればいいや」とばんごはんを食べないで家をでました。ところが食べもの屋さんの前には長い行列ができていて、とても並ぶ気にはなれませんでした。その日はしかたなく友人のお父さんとお母さんに近くのコンビニにつれて行ってもらいました。
 次の日も縁日に行きました。またきのうみたいに長い行列ができているのかなと思っていたら、友達のお父さんがおいしいおにぎりとおかずをもってきてくれていっしょに食べました。
 それはそのお夜まつりの時だけではなく、バスケの試合の時も同じです。私たちの応援やおせわをしてくれる役員さんと私のお父さんやチームメイトのお父さんやお母さんの分までたくさんのおにぎりやお弁当を作ってもってきてくれます。
 家に帰ると、試合のときのは話しや、おにぎりのこととか、あのおかずがおいしかったとか、ワイワイと家族で楽しく話しています。
 お父さんが、人は一人だけでは生きていけないと言っていました。いろんな人たちに助けられているから生きられるんだと教えてくれました。
 いつも、おいしいおにぎりを持ってきてくれるお友だちのお父さん、ありがとうございます。
 そして、私たちが楽しくバスケットができるように応援してくれるたくさんの人たちと鬼コーチに、ありがとうとお礼を言いたいです。
   (横浜市戸塚区/A・Y 小六)



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2008年07月20日

●怪我をしたとき電車で席を譲って下さった女性へありがとう


●怪我をしたとき電車で席を
  譲って下さった女性へありがとう


 先日私は、自分の不注意で自宅の階段で足を踏み外し足をひどく捻挫してしましました。
 次の日は、どうしても会社に出勤しなければならない用事があり、痛い足をかばうために慣れない松葉杖をついて通勤電車に乗りました。
 その日も通勤電車は混雑しており、松葉杖の私にはバランスを取って立っているのは容易な事ではありませんでした。 どこかに空いた席はないかと周囲を見わたしましたが、座っている人は下を向いいたり本を読んでいたりして誰も気が付いてくれません。
 私が降りる駅が近づいたころ、ひとりの女性が立って席を譲ってくださいました。でも、私は次の駅で降りるのでその事情をお話ししてお断りしてしまいました。
 電車から降りたあとで思いました。
 「あの女性は、私に席を譲ってくださるのに勇気が要っただろうな。ありがたいな。断って申し訳なかったかな〜。」と感じながら、そして今更ながら、他人に親切にすることの難しさに気が付きました。
 五体満足に生んでくれた両親に感謝しつつ、松葉杖を不器用に使って駅の階段をおりながら、席を譲ってくれた女性に「ありがとう」とつぶやきました。
     (目黒区中央町/S・Oさん)


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2008年07月16日

●英国のカレーのおじさんにありがとう


●英国のカレーのおじさんにありがとう


 私は今から三七年程前の中学一年の時、英国の田舎町に留学しておりました。
 小学校高学年の時、母が父と離婚しその後、著名な外国人と再婚しました。
 生活は裕福で何一つ経済的に不自由はなかったものの、私の心は満たされず、常に母に不満があり反発していました。
 再婚相手の手前もあり、母も悩みぬいて私を外国に送り出したのだと思います。
 私の通う英語学校の生徒の大半が大人で、少年の私には親しくできる友人もあまり出来ませんでした。
 精一杯背伸びをしていて、素直さの無い生意気なひねくれた少年の私は、タバコを吸い大人ぶってパブでビールをあおるような生活をしていました。
 下宿は英国人のホストファミリーにお世話になっていました。英国のホストファミリーでの週末の食事はクッキーなどのお菓子だけで、夕食は自分でなんとかしないといけないという育ち盛りの自分には空腹がつらかったものです。
 私がタバコをふかしてフィッシュ&チップスでも食べようと道をあるいていると必ず車から声をかけてくれるおじさんがいました。「どうした?一緒に乗っていかないか?今から店に帰るんだよ。」と車道から声をかけてくださるのです。
 おじさんのワーゲンに乗せて貰い、そのおじさんの店へ行きます。おじさんは中国人で横浜にも住んでいたことがある中華料理屋さんのご主人です。私と同年代の息子さんと娘さんが居て家族四人とても幸せそうでした。
 そしておじさんは「今日は日本式のカレーをつくってみたよ。食べなさい。」とごちそうしてくれるのです。おいしいとは感じてもその時は感謝などしていませんでした。
 ある日こういう事もありました。私の通う学校に日本の企業から派遣された大人の男性がいました。私と同年代のお子さんが居るそのおじさんはいつもしつこく私に話しかけてきます。
 「うるさいな!!うざいんだよ!!かまわないでくれよ!!」私はおじさんに八つ当たりしました。するとおじさんは「おまえはどうしてそんなにひねくれているんだ。表に出ろ!!俺が根性をたたき直してやる!!」私はふてくされながら園庭の芝生に行くとおじさんは
「そんな態度ができる根性があるならおれにかかってこい!」
 私は飛びかかっていきますが見事にかわされ柔道の心得があるその方は最後には背負い投げで私を投げ飛ばしました。
 脳しんとうをおこしそうな痛みの中、私は悔しさと情けなさがこみ上げて来て泣きました。その方はやさしい笑顔で私を見守ってくれた記憶があります。
 その後、日本に帰り、月日がたち私は結婚もして子供も出来ました。今ではとても幸せな生活をおくっております。
 先日インターネットGoogle earthの航空地図で英国のその町をみていてその地図の慣れ親しみのある道路のところに
「LUE'S CAFE」という広告があるのを発見しました。
 クリックすると昔のそのお店が写真ででてきました。メールをしてみると今では息子さんがお店のオーナーでお父さんは数年前に他界されたと知りました。
 私の目に涙があふれてきました。私は色んな方と出会って生かされてきたんだということを、今更ながらしみじみと感じ、英国という慣れない異国の地で親身になって見守っていてくれた、「カレーのおじさん」ありがとうございました。 そして粋がっていた私を投げ飛ばして気づきをくれた 「柔道のおじさん」にありがとうございました。
       (東京都 港区 K・K)



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2008年07月14日

◆倒産直後に前金で仕事をくれた後輩に…ありがとう


◆倒産直後に前金で仕事をくれた後輩に…ありがとう



 倒産した直後に、前金で過分な報酬の仕事をさせてくれた後輩に…「ありがとう」の感謝の気持ちを忘れません。

 倒産して間もない頃、会社の整理作業にいつまでも社員を頼ることもできず、悶々としながら過ごす日々が続きました。
 毎日、管財人の事務所にでかけて売掛金の回収の照合をお手伝いしたり、事務所の職員の方々からの書類上の不明点などに的確な説明をするなどしていた日々が続きました。
 そんな頃、知人の一人がご自分の事務所に私の机を準備してくださいました。
 その事務所では不動産の仕事や債権回収の資料づくりを手伝わせていただき、給料をいただいた上に、社会保険や雇用保険などにも加入してくださいました。
 いままで関わったことのない仕事は私にとって大変新鮮で、楽しく、それまでに読んだことがなかったような税務、財務、法律などの書籍に興味を持ったのもその頃でした。
 居候をしていたその事務所に、学校関係の友人が訪ねてきて…、
「先輩、私の会社の社員教育をしてもらえませんか?」と声をかけてくれました。倒産させた会社では、積極的に社員教育をしていましたので、資料も十分にありました。
 私のコンサルティングとしての初めてのお客様でした。しかも…半年分の顧問料を一括して支払ってくれたのです。その後輩の社長が私にしてくれたことは、失敗した私に対する暗黙の温かい激励の表現だったのだと思いました。
 「ありがとう…」と、喜んで引き受けさせて貰いました。それから二年ほどその会社の顧問として報酬をいただいておりましたが、その間に得た報酬は、私にとっては過分な金額だったことは痛いほど分かっていました。
 しかし、恥ずかしながら、その頃はまだ経済的に安定していなかったので、自分から「報酬を下げて…」とも言い出せずにいたことが、心の中にひっかかり消えていません。
 最近、ある会合でその恩ある後輩が体調を壊していることを聞き、ただならぬ心境にあります。その後輩のN君が早く元気になって仕事に復帰できることを祈って止みません。



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2008年07月11日

●患者さんの作ってくださったおからに…そして、勤務している病院にありがとう


●患者さんの作ってくださったおからに…
そして、勤務している病院にありがとう


 私は生活習慣病専門のクリニックで外来のコンシェルジュとして働いております。
子育てに、仕事に、と慌ただしく毎日がすぎて行きます。夫の仕事は自営業なので収入が安定していない事も多ことなどで、日常にと何かとストレスを感じる毎日を送っております。
 外来コンシェルジュという仕事は、患者様を第一に考え、医師・看護師・事務との連携を円滑につなぐパイプ役のような仕事です。
 そのほかにも、従業員から人間関係の相談や私的な相談までこなすクリニックの目安箱兼何でも屋として重宝がられています。
 しかし、ときおりクリニックの経営者や自分の夫に対して不平不満を感じるときもあります。
クリニックによく来られる初老の女性の患者様がいらっしゃいます。その方は現在、義理のご両親の介護をされているようで、やはり多忙で悩みも多い方のようです。
 でも…その方はいつも明るく…私が担当の日を選んでクリニックに来てくださいます。来られる都度ご自分で作られた「おから」を持ってきてくださいます。「あなたの笑顔を見ると元気がでるわ!いつもありがとう」って言って、その「おから」を下さるのです。
 私は家に帰り、主人や子供達と食卓を囲み、その「おから」をいただきます。
 夫も「おいしいね〜」と、ほおばって食べています。
 夫は、私が多忙な時には夕食の支度や後片付けをしてくれるのです。私は夫が作ってくれた料理と患者さんからいただいた「おから」を食べながら、「おいしいわ…。あなた ありがとう!」と言っていつも美味しくいただいています。
 心遣いをしてくださる患者様にありがとう。そして…すてきな患者様との出会いを作ってくれた病院に「ありがとう」と心からお礼を言っています。
   (横浜市戸塚区/主婦・Y・T)


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2008年07月05日

23才で亡くなった脳性小児麻痺だった妹に「ありがとう」


●23才で亡くなった脳性小児麻痺だった妹に「ありがとう」


23才で亡くなった妹に「ありがとう」の言葉を贈りつづけています。
 兄弟姉妹の6番目に生まれた妹がいました。
5歳の時に突然高熱が出て、その高熱はなかなか下がらず、妹はぐったりしたまま一週間ほど苦しんでいる日が続き見ていても痛ましいくらいでした。
 ようやく熱が下がり食事をはじめ床から起きて歩こうとしたら、手足がもつれ歩けないことが分かりました。

 母が慌てて病院へ連れて行きましたがすぐには原因が分かりません。何度か通院するうちに、「脳性小児麻痺」であることが分かり高熱もそのためだったようです。

 急遽入院して脳の手術をしてもらったのですが、50年前の当時の医療技術では、「脳性小児麻痺」完全な治療方法は解明されていなかったようで、数年間の闘病生活の後、治療方法が見つからないまま退院し、自宅療養を続けることになりました。

 療養といってもこれと云った特効薬があるわけでもなく、しばらくは手術後の体力回復のための薬を呑んでいましたが、身体はどんどん衰弱し自分で歩くことさえ困難な状態になってしまいました。兄弟が遊んでいるところまで外出するときは乳母車に乗せて、その遊ぶ姿を目で追いながら一緒に楽しんでいました。

 だんだん話すことが不自由になり、言葉としてというより、「ハイ」と「イイエ」を顔の動きや目の表情で察しながら、家族は身の回りの世話をするようにしていました。

 狭い家でしたが、兄弟達の友達も積極的に遊びに来てくれて、身体の不自由な末の妹を囲んで一緒に遊んだりしてくれました。

 それぞれが外出していても、今日は誰が早く家に帰るか…を確認し合い、寂しげにTVを見ている妹とのことは、家族みんなの心の中にあったのだと思います。

 その頃の様子は…今でも頭から離れません。いま思うと、家族が結束していたのはその頃だったような気がします。十三年間も寝たきりだった妹のことを思うと、自由に身体が動く自分は、このうえなく幸せなのだと、毎日散歩に出かけるたびに、妹の聞こえない言葉で教えられているような気がしています。

 だから…、自分の身体は自分で管理することを心がけ、辛い人の相談にも嫌な顔をせずいつまでも耳を傾けたいと思います。





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2008年06月16日

お父さんお母さん五体満足に生んでくれてありがとう


● お父さんお母さん五体満足に生んでくれてありがとう


私の一日は毎朝仏壇にお供えをして手をあわせる事からはじまります。
現在私は事情があって娘と孫、主人の4人暮らしをしております。

家族の問題や仕事の問題が山積しており
ストレスやイライラがたまると
必ず仏壇に手をあわせる事でおちつける気がするのです。

先日あるテレビを見ていると、
「親に感謝する事と親孝行する事が幸せになれる基本だ」
という事を言っておりました。

しかし…
残念ながら私の親は他界してもうこの世にはおりません。
どうしたら親孝行出来るのだろう?
そのテレビでは仏壇に手を合わせて
「お父さんお母さん五体満足に生んでくださってありがとう。育ててくださってありがとう」と
心の中で念じるだけでもそれは無くなった親御さんへの孝行なのだと言っておりました。

そこで、それを毎朝実践してみることにいたしました。

それを行うようになったある日、
孫が「おばあちゃん何をぶつぶつ言ってるの?」と尋ねてきました。

私は「うん。おばあちゃんの両親にお礼を言ってるんだよ。おばあちゃんの親はもう亡くなってるから直接孝行出来ないからこうやってお祈りしてるんだよ。お前もお母さんやお父さんを大事にしないとね。」
と説明してあげました。

孫はだまってうなずいておりました。

それから数日たって…孫の行動に変化が現れました。
率先して家事のお手伝いをしてくれるのです。

私は嬉しくて、
甘いかなとは思いながらも食事代に色をつけ
お小遣いとして孫に渡すと、本当に嬉しそうに
「おばあちゃんありがとう」って言ってくれます。

その瞬間がとてもうれしく、いとおしく感じます。

そんな孫を生んでくれた娘に「ありがとう」。
そしてあたらめて我々家族が居る事に感謝して…
両親に「ありがとう」

(世田谷区/K・Oさん)


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2008年06月15日

レスキューレッカーの仕事に…ありがとう


●レスキューレッカーの仕事に…ありがとう


私は今レスキューレッカーの仕事をしています。
故障や事故を起こした車を救助して…故障の原因を究明し、牽引して
保険会社の指定する修理工場まで輸送するのが主な仕事です。

この仕事につくまでは
大手の自動車会社の修理工場や部品等のメーカーで仕事をしていま
した。

その頃の私の仕事は
お客さんの苦情を聞き改善したり、
クレーム処理をするのが日常業務で
私は対人の仕事には苦手意識がありました。

しかし、
私は今の仕事に生き甲斐を感じています。
毎日が楽しくてしょうがありません。

大半のお客様はトラブル直後なので
私が到着した時点で皆さん不安で皆さん表情が暗いものです。

しかし問題を解決し車を移送する車中、
そしてお別れする瞬間、
「ありがとうございました」と
会話を交わす際みなさんすばらしい笑顔になられます。

人に笑顔が与えられる今の仕事に私は誇りをもっています。

自分もいつも笑顔で居られるようになりました。
今の仕事にありがとう・・。

株式会社プレミア 整備士 川本倫明


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2008年06月13日

『ありがとうメガネ拭き』がご縁で出逢いを作っていただき…ありがとう。


●┓
┗●『メガネ拭き』の活用法を教えていただき…ありがとう。


今日は…知人の会計事務所の親睦会に招かれて
講演会と懇親会の参加させていただくことになりました。
講演は…サブプライム問題と中小企業への影響について
主催事務所の先生と外資系証券会社の顧問の方から
身近に迫っている具体的な事例などの情報をいただき
たっぷりと情報をいただくことができました。

第二部は懇親会でした。
同じテーブルに着いた方と名刺交換をし
名刺と一緒に「メガネ拭き」をお渡ししました。

いつものように…その方も…
「ありがとう」の言葉がたくさん書いてあるメガネ拭きを手にとって
「これはいい…これはいいですね…」と云って
早速ご自分のメガネを拭き始めました。

拭いて綺麗になったメガネを掛けながら…
「すごい…気持ちまで明るくなった…」と喜んで下さり…
しみじみ…ありがとうの文を読んで下さいました。

メガネを掛けている近くを通った知人を呼び止め…
「ちょっとメガネを貸して下さい…」と云って
その方のメガネを拭いてお返しし
「ねっ!…明るくなったでしょ!これ、とっても良いんですよ…」と
それをキッカケにして私たちをご紹介して下さったのです。

「逢った人のメガネを拭きたくなっちゃいますね…」と
私たちが考えていた以上に喜んでいただいたのには
かえって恐縮してしまいました。

たかが…「メガネ拭き」、されで…「メガネ拭き」
「メガネ拭き」の活用法を目の当たりに教えていただきました。
長身でとても爽やかな…アスベスト撤去工事会社のの社長さん
すばらしいヒントをありがとうございました。





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2008年06月07日

皇居前警備の警察官の方々…そとて、レッカーの運転手さんありがとう


●皇居前警備の警察官の方々…そとて、レッカーの運転手さんありがとう


先日いつものように愛車に乗り…仕事に出かけた時の事です。

その日は
朝のエンジン始動の時に…わずかでしたが回転部から異音が感じられ、
「工場に持ち込み確認してもらおうかな…」と悩んだのですが
当日の予定が詰まっていた為に
「まぁ〜、週末に行けばいいや…」と
そのまま都心に向かいました。

大手町から皇居にさしかかったその時です。

電気系統がすべてダウンしてしまい
エンジンの回転音がおかしく鳴りだし…エンジンが停止しました。

周りを見回してみたら…
渋谷や新宿方面に向かう車で渋滞しています。
私も渋谷方面に行こうとその中央の車線に移動した時でした。

止まったエンジンは、いくら再起動させようとしても動きません。

車外に出てみると…
私の車の後ろには…びっしり渋滞をがはじまってしまい
後ろの車を脇に誘導しました。

ただただ焦って頭を下げてあやまりながら大声で…
「故障です。申し訳ありません。」
一生懸命あやまりながら車を左右の車線に誘導します。

通過する車からは…
心配そうに案じて下さる方もいるものの…
睨みつけたり…
罵声を浴びせたりする方もいました。

必死に頭を下げつづけました。

携帯電話で助けを求めようと携帯をみますが、
なんと…
携帯電話までもが…バッテリー切れとなってしまい
電源が落ちてしまいました。

「俺はついてない。携帯まで切れた。なんでこんな思いをするんだ。」と
惨めに思う気持ちを感じながらも…とにかく必死に誘導し続けました。

申し訳なくて…、恥ずかしくて…、
逃げ出したい気持ちの中、
渋滞はどんどんひどくなってきます。

そのとき、
道の反対車線の向こう側の皇居から…皇居警備の警察官の方が近寄ってきて
「故障か??どうした?」 と声をかけて下さいました。

「故障です。エンジンが切れてしまいました。迷惑かけています。ごめんなさい。」と
大声で伝えました。

数分後に…
無線で連絡を取ってくれたのでしょうか…
仲間の方々を連れてその警察官の方がもどってきてくれました。

お仲間は手際よく交通整理をしてくださり、
残りの方が車を押して下さり、
観光バス用の車寄せまで移動していただきました。
その後すぐに
警察官の方々はご自分の持ち場に戻ってしまいました。

さて、
携帯電話で保険会社と、訪問予定のお客様に連絡しなければ…。

「そうだった…電池切れなんだった。」
目の前に公衆電話があるものの、
連絡先の電話番号はすべて携帯に保存されていたんだっけ…。

「俺はなんて馬鹿なんだ…ついてない…」と
ぶつぶつ考えながら携帯電話用の充電器を買おうと
周辺をさがしますが、そこは平日の皇居前広場…。
人影はまばら…、
結果、東京駅近くまで歩き、ようやく充電器を調達することができました。

知人の助言で保険会社のレッカーを呼びました。
1時間後、レッカーの運転手さんが来てくださり、
故障の箇所もわかり愛車を牽引して修理工場に移動する車中、
「警察官の皆さん、そして、レッカーの運転手さん、ありがとうございました…。」
ホッとした気持ちで心底、人との係わりに感謝した一日でした。

「ありがとう」って声に出して言ってみたら
「俺はついてない。なんでこんな思いをするんだ。」って
いう気持ちがどんどん消えて行くのを感じました。

残ったのは…とても爽やかなハプニング・ストーリーでした。

(渋谷区広尾/M・Tさん)
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2008年06月05日

先輩友人の思い遣りの言葉にありがとう


◆先輩友人の思い遣りの言葉にありがとう



倒産から間もない頃に訪ねたときの、先輩の思い遣りの言葉を想いだし、ありがとうの感謝の気持ちで一杯になります。

 倒産してから数ヶ月は、債権者集会の為の残務整理と資料整理で毎週のように岩本町の管財人の弁護士事務所に通っていました。
 
弁護士事務所の職員の方の補佐的な立場で売掛金の回収の調査や買掛債務の確認をしていました。

 法廷保存が必要な帳票類は三十を超える段ボール箱に詰め、管理倉庫会社へ持ち込んだりもしましたが、つい数週間前まで貴重な営業資料として活用していたファイルは会社の業務が止まってしまうと、これらはもうただのゴミとして夢の島に…、かえって厄介なものばかりです。片付けは七階建てのビル一棟と茨城にあった小さな工場でしたが三ヶ月ほどかかったように記憶しています。 

寝ることも惜しみながら仕事をしていた自分でしたから、世間の人々が忙しく動き回っているのに自分が毎日のように何の生産性も感じない空しい時間が過ぎていく現実には、やり場のない不思議な空気の中で、ただ淡々と作業をしていました。 

ガラガラになった各階の部屋を見回り、最後に七階の窓から目に入ってきた「富士山」の姿は、今でも忘れません。そして…窓からビルの下を見下ろした時、見てはいけないものを見てしまったような不思議な感覚が襲ってきたことも忘れてはいけないことだと思っています。 
片付けも終わり、債権者集会は東京地裁の傍聴席が五十名ぐらいの法廷で行われました。

裁判官にお願いして最後に債権者にお詫びの挨拶させていただきました。なじる人、励ましてくれる人…。

でも、傍聴席に向かって、債権者にお詫びが出来ただけでも良かったと思っています。少しだけ一段落しました。
 
お世話になった先輩の会社にお礼の挨拶と、お詫びと近況報告をしに行きました。淡々と片付けをしている間に、沢山の共通の知人たちがその先輩の会社を訪ね、私の近況を聞きに来たそうです。

そんな知人たちに対して「貴方は彼に何かをしてあげたいと思って僕に聞きに来たの?興味本位だったら絶対に教えられないよ…」と答えておいたそうです。
 
今こうして、沢山の債務者に付き添う立場になって、その言葉の暖かさがひしひしと感じてきます。ありがとうございました。




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2008年06月03日

●生きる希望を与えてくれた弁護士さんにありがとう。


●生きる希望を与えてくれた弁護士さんにありがとう。


 
脳梗塞で倒れた後に、
相続と節税を考えて投資会社のすすめで
資産運用を試みたのですがことごとく失敗してしまい、
老後の生き甲斐のために建てた別荘さえも
債権者に取られる事態になってしまい途方に暮れていました。

そんな時、
ある人を通じて紹介していただいた弁護士さんが、
リスクカウンセラーの方と連携を取ってくださり、
私の終の棲家として建てた家を何とか残せるようにしよう…と
粘り強く債権者との折衝をして下さいました。
 
その熱心さは、
単に法律家としてではなく、
老夫婦の精神的なフォローをカウンセラーと連携して下さったので
当初は気が動転していた私も
しだいに落ち着きを取りもどし、
安心してお任せすることが出来ました。

 
「法律家は不自由なものでして…」と云って、
打ち合わせには
いつもリスク・カウンセラーの方も同席して下さり、
粛々と処理をして下さいました。
 
お陰さまで、
春から秋にかけて楽しめる庭の家庭菜園からは、
美味しい野菜がたくさん収穫できますし、
生きる希望が湧いてきました。

弁護士とはまるで縁のなかった私でしたが、
精神的な気遣いをしていただけた上に問題が解決できたことは、
本当に良かったと思っています。 

ありがとうございました。

        (川口市/T・Nさん)



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2008年06月02日

子供たちの成長記録を撮ってくれて…ビデオ機器にありがとう。


●子供たちの成長記録を撮ってくれて…ビデオ機器にありがとう。


今日娘の小学校の運動会がありました。 

娘は六年生なので実質今年が最後の運動会となりました。
 
思い返せば…
息子のときを併せると
我々夫婦は保育園・小学校と通算して15年間は、
運動会へ参加させてもらった計算になります。

その間のビデオ機器の進歩たるや著しいものがあり、
今使っているビデオですでに3台目になります。

 
録画したテープは100本にはのぼるのでしょうか。
 
でも、
小学校の運動会のビデオを撮るのは今日が最後になりました。
 
機械を手入れしながらいろいろの出来事を回想していましたが、

あらためてコツコツと我々家族の思い出を記録してくれたビデオ機器に、
ありがとうと云う気持ちになってきました。
 
そして、
何より我々夫婦を楽しませてくれた息子と娘にありがとうって言いたいです。

10年後には又、孫の運動会を楽しむ日が来るのでしょうか?
 
でもあまりおじいちゃんが出しゃばると子供達夫婦にわるいのかな??とか余計な心配をしている我々夫婦です。

 
妻ともお疲れさまって言い合いながら、
思い出話を語り合っていました。

 ありがとう。
        (横浜市/Y・Tさん)


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posted by 1039 at 13:57| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆愛用の道具にありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月01日

応援の楽しみをくれた娘に…ありがとう。


●応援の楽しみをくれた娘に…ありがとう。


今月私は誕生日をむかえます。
誕生日って…
両親に対して五体満足に生んでくれて育ててもらったことへの感謝を表し、
子供の誕生日には…
私たち夫婦に生まれてきてくれたことへの感謝を表す日だと思うんです。

そんなことを実感したある日の事です。

新学期から娘が
小学生のミニバスケットボールチームのキャプテンになりました。

伝統あるチームでのプレー出来る事が
親として誇らしい反面、
親の役員としての役割負担も多く、
キャプテンになった事で我々一家は
更に週末は骨休みとは無縁の生活を強いられることとなりました。

毎日、夜までの練習に加え、毎週末は公式戦…。

週末ごとの自分の時間も無く、
妻も私もイライラする日がつづいておりました。

6つ年上の長男も…
どうしても週末の夕飯の志度が手抜きになるため、
不満を漏らすようになりました。

ついつい私も「お前のバスケットのせいでみんな大変なんだ」
と娘にあたってしまうときもありました。

キャプテンになってから1月が過ぎ、
娘は疲れ果てて練習から帰ると我々に言いました。

「いつもありがとう。勉強も頑張るし絶対強くなるからね。」
無言で家の掃除や犬の世話を手伝ってくれるようになりました。

私は思わず頭をハンマーで殴られるような衝撃をうけました。

「私はなんて恥ずかしい親なんだろう…、
娘のつらさを理解していなかった…。
娘だって…練習も辛いしその中で塾にも通って…。」

「我々親にとってもこの時期は1年しか無いのだし、一緒に楽しませてもらおう」…と、
今ではそんな気持ちで応援できるようになりました。

今、この一瞬を娘と楽しめるようになりました。
応援する楽しみをくれた娘に…、「ありがとう」って心から思うんです。





●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
posted by 1039 at 23:19| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ●息子、娘に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月29日

●会社整理の後…支えてくれた家族にありがとう


●支えてくれた家族にありがとう

 数年前に、主人と経営してきた事業を閉鎖しなければならない状況になり、工場兼自宅も手放さすことになりました。

 以前は事業も盛況でそれなりに蓄えも出来ていましたが、バブル経済が崩壊してからは業績は日に日に悪化し、大口の取引先からの注文が無くなる等、私たちには不運な出来事が相次いで続きました。月末が近づくと借財の返済や仕入れ資金の資金繰りのため東奔西走しなければならない状態でした。銀行からの融資も止められ、家族全員でお金を集めてやっと生活しているような地獄の様な日々を過ごしておりました。

 そんなある日、知人の紹介で紹介された先生からアドバイスをいただき、どうして良いか分からなくてパニックになり精神的に混乱していた私たちの苦しさや悩みを受け止めてもらい、結局、事業を廃止することにし、自宅を売却して借金を清算することにしました。

 私も常々考えつつ結論が出ないまま引きずっていましたので、背中を押していただいたお陰で決断することができました。あとは主人が決断すればいいだけです。

 私は、執拗な取り立てから逃げたく借財の返済を急ぐあまり、自宅の売却と清算を早期に終わらせてもらうべく先生に促すのですが、にこにこ笑顔で応えるだけでいっこうに着手してくれません。

「これはご主人の問題ですから〜。まあ〜しばらくご主人の様子をみましょうね。」と、とりあってくれません。主人は食品製造業の二代目として仕事一筋の人で…、だから資金繰りや人間関係などのわずらわしい事はすべて私まかせで…。私は主人に不平不満がたくさんありました。妻である私自身がすべてを仕切って今までやってこられたと云う傲りもあったので、自分で出した結論に主人もすぐに同意してくれるものと思っていました。

 淡淡とした日々がすぎ、何度か先生と話し合いをしていただき…主人もようやく廃業に向けての覚悟ができたようでした。

 それから程なくして…「ご自宅の買受人が見つかりましたよ…」とその先生から連絡がありました。提示されたその金額なら…考えていた以上に手元にお金が残りそうだし、生活を立て直す見通しがついてきました。

 主人と私、すでに成人の子供たちはそれぞれ独立して部屋を借りることになり、引っ越しも終わり、それぞれが新しい生活を始めることになりました。

 おかげさまで、夫婦の引っ越し先は知りあいから紹介していただき、一からのスタートを切りました。

 ところが、引っ越した直後に、主人が脳梗塞で倒れてしまいました。幸いにも発見が早かったのと精神的なストレスも軽くなっていたことで回復も早く大事に至らずにすみました。今まで経営者として思うように仕事をしていた主人にとって、当初は職場の人間関係等で多くの壁にもぶつかるようですが、今では元気に仕事をこなしているようです。

 財産らしいものが無くなったいま私が幸せに感じることは、係わってくださった方々や、支えてくれた家族にありがとうと云える気持ちになれたことです。
 そしてなにより、主人が元気でいてくれる事に「ありがとう」って言いたいのです。
   (世田谷区/K・Oさん)

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2008年05月23日

●内科の女医さんにありがとう


●内科の女医さんにありがとう


私は前立腺肥大で永年近所のクリニックにかかっておりました。
血尿が出たり違和感があるものの、
掛かり付けのクリニックでは
異常は無いと言われるので不調のまま月日が経ってゆきました。

ある日、そのことを娘に相談したところ、
恩師の内科医の女医の先生に相談してくれました。

至急大きい病院で検査をしなさいと言われ、
権威のある病院と医師を紹介してくださいました。

家族も協力してくれ
その病院で検査をしたところ…膀胱癌であることが発覚し
若干転移もありそのまま放置していたら
手遅れになっていたかもしれないとの事でした。

早速手術を受け、
膀胱は全摘出になってしまい、
現在では
「ストマー」という袋をぶら下げての生活になってしましました。

若干の癌の転移があるので…
3ヶ月に一度は抗ガン剤治療の為に
入退院を繰り返しています。

外出といえばそれだけで
普段の私はそんな自分の姿がみっともなくなさけなくて、
現在では外出したりするのがいやでしょうがありません。

主治医の先生も
「くよくよしないでストレスを溜めないのが癌の治療には有効ですよ」
とおっしゃっていただきますが、
どうしても…
自宅に居ると毎日悶々と過ごしてしまう日が続いております。

そうしたある日、
恩師の先生よりお電話いただき近況を報告いたしました。
先生は最後にこうおっしゃいました。

「癌が発見出来たのは幸運な事でしたね。もっと生きなさいという神様からの贈り物です。毎日楽しく有意義に生きてくださいね。」

私の恐怖感はすっかり吹き飛び…勇気が湧いてきました。
とたんに目の前が明るくなった気がします。

家族に感謝し、
執刀してくださった先生、
恩師の先生に
心から「ありがとう」と申し上げたい気持ちです。

(神奈川県横須賀市/H・Kさん)


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posted by 1039 at 19:20| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | ●先生へ…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月21日

●近所の通行人の方にありがとう


●近所の通行人の方にありがとう


私はコンビニエンスストアで
早朝勤務のアルバイトをしている主婦です。

高齢になった義母は…介護が必要になり
早朝はアルバイトですので
私は昼間の時間の介護を担当するようになりました。

先日の、台風3号が接近した5月の早朝のできごとです。

朝のコンビニエンスストアは戦場と化しています。
住宅工事の職人さんや配送の運転手さんでごった返します。

その日も行列が出来、
一人でレジの接客対応しておりました。
台風の接近に伴い、
強い雨と風が吹いていました。
店の外には…
商品のパレットが山積みされ
看板、旗竿等が風に飛ばされそうな感じで
心配なぐらいに危なげにはためいていました。

それらを横目に見ながら
店で慌ただしくレジを打っていたその時です!

にわかに突風が暴れるように吹いてきて
それらが音を立てて吹き飛ばされ
あれよあれよという間に国道まで転がっていきました。

「あーこのままでは交通の邪魔になる。」
しかし…レジ前には長蛇の列が…。

店の前を人は通るのですが…
みんな慌ただしく通り過ぎていきます。

早朝だし…交通機関が止まるかもしれない状況でしたから
当然の事だとはおもいます。

「このままでは…、早く拾いに出なければ…、交通渋滞の原因に出もなったらどうしよう…」

レヂに並んでいるお客様に待っていただいて
自分が出て行って片付けるべきか…悩んでいたその時です。

近所の男性の方が通りがかり、
バラバラと道路まで吹き飛んでしまった物を
手際よく歩道に戻し…
風の当たりにくいと場所に移動してくれました。

「移動しておいたよ〜、大変だったね〜」と
男性はお店の中の私に向かって
声を掛けてくれました。

私がお礼を言いましら…「いいよいいよお互い様だよ。」と
男性は去ってゆきました。
レジに並んだお客さんは…誰も目を合わせません。

皆さん本当は気になっていたんだろうな〜
私はそんなことを思っていました。

休憩時間に店長にその時の様子を報告しました。
店長は…
「お客さんが不親切なわけではないんだよ…。」
「チョットだけ…勇気が出なかったのかもしれないね!!」
と説明してくれました。

…でも…とにかく…あの日は助かりました。

お店に居合わせた全ての皆様…ありがとうございました。

(神奈川県横浜市/I・Jさん)


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2008年05月17日

●車椅子を介助して下さった店長さんありがとう


●車椅子を介助して下さった店長さんありがとう


私の妻のお母さん(お婆ちゃん)は車椅子の生活をしています。

昔から気丈な方でしたが脳腫瘍の手術を2回もして
年齢を重ねるうちに…とうとう車椅子の生活になってしまいました。

先日
お母さんと一緒に家族で外食することになり
レストランに行ったときのことで
順番待ちで待っているいる時に
おばあちゃんがいきなり発作を起こし、
車いすの上で痙攣をしはじめました。

私、息子、妻、義理の兄もすっかり慌てて…どうして良いのかわからなくなり、
ただただ焦っていると…
お店の店長さんが様子を察知して駆け寄ってきてくれました。

「ここではダメだ。今別館の座敷を用意しますから車いすを押して外に来てください」
とテキパキと指示を出してくれました。

別館の階段は高く、
息子が「どうしよう!僕持てないよ」と
弱音をはいていると「持たないわけにはいかないでしょ!!しっかり抱えて!!」と
叱咤してくださり、
息子と私でおばあちゃんを車いすから抱えるように降ろし
店の中をゆっくりと座敷まで運んで行きました。

座布団を敷き…お婆ちゃんを寝かすことが出来、
その後おばあちゃんも意識が戻り、
食事までその場所に運んでくださり、
帰り際に店長さんはいいました。

「私も両親で同じような経験があるのでわかります。皆さんも大変でしょうが頑張ってくださいね。」

あの時の…お店の店長さんに「ありがとう」 

(横須賀市/K・Hさん)



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by 1039 at 17:17| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ●街で出会った人に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月16日

●息子夫婦にありがとう


●息子夫婦にありがとう


私は20年前から脳の病気を患っています。
手術を受けてからその後再発し…再手術を繰り返し今にいたっております。

当初は自由にならない自分の体が腹立たしく、
自分の病気を恨み、こんな身体になってしまったのは
主人や、亡くなった姑舅が原因だと憎んだりしていました。

最近では
年と共に筋肉も弱ってきた為…
とうとう、車いすの生活になり
自分一人では何も出来ない生活になってしまったのです。

息子夫婦は共稼ぎなのですが
毎朝、朝食と昼食を作って…私の部屋に置いていってくれます。
勿論…身の回りの世話も夫婦で献身的にしてくれます。

年に一度は旅行にも連れて行ってくれます。
迷惑をかけている自分を呪い、
ある日嫁に向かって…
「わたしなんか居なければ迷惑をかけないのにね。ごめんなさいね。」
と言った時の事です。

嫁は怒ったように…
「なにを言ってるんですか!お母さん!」
「お母さんが生きておられることが家族にとっての光なのよ!」
「お母さんがこのようにいらっしゃるから…孫達も思いやりのある優しい子に育ったんですよ…」
そう言って…涙を浮かべていました。

ありがとう。本当にうれしかったです。本当にありがとう。
(千葉県旭市/M・Iさん)



・:*:・゜☆,。・:*:・゜・:*:・゜☆,。・:*:・゜・:*:・゜☆,。・:*:・゜・:*:
posted by 1039 at 19:08| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ●息子、娘に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

何気ない光景の父母の写真を撮って下さった方にありがとう


●何気ない光景の父母の写真を
  撮って下さった方にありがとう


 父のことを「秀ちゃん」と呼んでいた母は、
糖尿病がひどくなってからは、
本当に父を頼りにして生活していました。 

病から足が弱まり…白内障で目の方も芳しくなく、
外出するときは誰かに手を貸してもらうことが多くなっていました。

 
老人会の旅行の時に
お仲間に撮っていただいた写真だと思いますが、
荷物を片手に持ち、
杖をつく母の手を引く父の姿は、いたって何気ない光景です。

両親・おててつないで….jpg


お仏壇の前で合唱するとき、
脇に飾ってあるこの写真から
「不言の言」の空気が心の中に熱く響いてきます。
 
写真を撮って下さった父母のお仲間に

心からありがとうと申し上げます。

        (板橋区/T・Hさん)


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posted by 1039 at 11:42| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ●見知らぬ方へ…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月14日

●母の日プレゼントありがとう!


●母の日プレゼントありがとう!


 不思議なんです。地方に嫁いだ娘から、今ちょうど欲しと思っていた母の日プレゼントが届いたのです。
 そして私が娘に…と思って送る物も
「何で?今こんなのほしいなあと思っていたらおかあさんから送られきたから、不思議!お母さん何で知っているの?見えてるの?ありがとう!」

って、電話から歓声が聞こえてきます。

親子って…不思議な力が通じ合うのですね。
いつもお互いに「ありがとう…。ありがとう。」
と言葉を交わしています。
 
「お母さんって凄いね。子供三人も育てて…」と、二人の子供がいる娘。
 
母「あなたがいてくれたお陰だよ。下の二人はあなたがよく面倒みてくれたおかげよ。私一人じゃ育てられなかったよ。ほんとうにありがとう!」と。


 これは、娘から電話があるたびの私と娘の会話です。
 
いつも思ってくれてありがう!

そして素敵な母の日プレゼントをありがとう。

       (目黒区/●・●さん)




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2008年05月13日

すべてを失った家族を助けてくださった皆さんありがとう


●すべてを失った家族を
  助けてくださった皆さんありがとう


ある日突然、住む家・家財・お金・すべて失った日から今日まで、
どれだけの方々に助けていただいたでしょうか?

毎日のように、遠いところから食料・日用品などをたくさんの方が運んできてくださり、お蔭様で家族が生きてこられました。

何も言わずに包み込んでくれるあたたかい会話にも心が癒され、
頑張ろうとする気持ちになれたことにも感謝しています。
ありがとうございます。

 
また、このお蔭様を皆様にお伝えするチャンスをいただき、
ひと文字ずつ書きすすむほどに
本当の有り難さを感じることができたことに感謝しています。
 
それは…数年前にのある出来事によって「すべてを失った…」と、
ドン底の世界にいる自分の運命を嘆いていたことは間違いで、
私たち家族を助けてくださった沢山の人々の「心」という貴重な財産をいただいていたのです。
 
家族を助けてくださった沢山の皆さんに
心から「ありがとう」とお礼を申し上げます。

       (目黒区/Y・Yさん)



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2008年05月12日

●愛犬「セブ」をプレゼントしてくれたおばあちゃん「ありがとう」


●愛犬「セブ」をプレゼントしてくれたおばあちゃん「ありがとう」


我が家にはペットのダックスフンドの愛犬「セブ」ちゃんがいます。
5年ほど前におばあちゃんが息子と娘に買ってくれたものです。

子供達は喜んで世話をしていたものの、1年もすると飽きてしまい
結局、我々親が世話をすることになってしまいました。
我が家に来て2年目のことです。

その頃
息子は高校受験の大事な最後の夏休みだったのですが
家庭への不満や反抗心から不良グループと係わり
生活が荒れておりました。

親が指摘しても全く言うこともきかず…
どうなる事やらと心配しておりました。

夏休みも終わり、
息子も真剣に将来を考え、塾にも通い出すようになったある日
きっかけは解らないのですが、
「僕、○○高等学院か、その関連校すべてを受験する。それ以外は考えていない」
と言いだしました。

学校の進路指導の先生も、親としても
万が一の事があるので滑り止めを受験することを勧めますが
本人は
「俺は素行が悪かったから内申は期待出来ないので、その○○高等学院とその関連校一本で行く…」
と言い張り私たちの云うことを聞き入れません。

それからの息子の集中力はものすごく、
毎晩、おそくまで電気がついて勉強している息子の部屋をそとから伺うと
「ね〜、セブ。つきあってくれてありがとうね。お兄ちゃん頑張るからね…」
という息子が愛犬「セブ」と会話しているのが聞こえて来ます。
来る日も、来る日も、
息子の部屋で…朝まで一緒に「セブ」はいたようです。

その甲斐あってか…無事息子は受験を終え、
希望通りの学校に入学できました。

それ以来、息子は
機会があるごとに自分から進んで「セブ」の散歩や世話をするようになりました。
息子は愛犬に感謝しているみたいです。
その息子も、来年はいよいよ大学生です。

我々親も息子から学ばせてもらいました。

愛犬「セブ」、息子よ、そして…
その愛犬「セブ」をプレゼントしてくれたおばあちゃん「ありがとう」

(横浜市保土ヶ谷区/Y.Tさん)



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by 1039 at 12:39| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ●父さん、母さんへ…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

電車で席を譲ってくださってありがとう。


●電車で席を譲ってくださってありがとう。


私は足が不自由です。

階段の乗り降りが大変でしたが
最近では、バリアフリーが整備され
エレベーターやエスカレーターの利用により電車での移動が大変楽になり、
更に、優先席があるので席を譲っていただけて有り難いです。

以前は、足が不自由な人に席を譲ってくれるのは
当たり前のことと思い上がっていましたが
主人から
「譲ることはその人にとってはとても勇気がいることで、有り難いことなのだよ」諭されました。

今までに…席を譲って下さった方に感謝感激の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました。

そして…
そのことを教えてくれた主人に対しても
「ありがとうございます」という気持ちです。

(東京都目黒区/吉村さん)


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by 1039 at 12:34| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ●街で出会った人に…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

ブルドーザーの運転手さん『ありがとう』


◆ブルドーザーの運転手さん『ありがとう』


ある夏の話です。
そのころ私はフル装備の四駆にのっていました。
多少の悪路でも楽々走りきるその車は自慢の車でした。
いつものようにその車に乗って
妻と5歳の息子と海岸線を走って楽しんでいました。

多少のぬかるみでも楽々と乗り越えるその四駆を過信していたのも事実でした。

その日の砂浜はなんとなく柔らかく
そのときは引き潮で遠浅だったのですが
「なんとなくいつもと違うな?」
という感じはありました。

妻の「陸にもどったほうが良くない?」という静止を
「大丈夫…大丈夫…」とふりきって
海側に切り込んでUターンしようとした瞬間…。
なんと車輪が砂に沈み亀の子状態になってしまいました。

しきりにエンジンを吹かし脱出を試みますが、
車体はどんどん沈んでしまい…
とうとう車体が砂にうまった状態になってしまいました。

周辺に居た四駆の車に救助をお願いして
3台をつないで牽引してもらいましたが、
沈み込んだ車は全く動きませんでした。

そこは半島の先端に近い場所で
近いガソリンスタンドでも数キロはある場所でした。

日はかたむき、潮が満ちてきました。

気づくと波は車のボンネットあたりまで迫ってきています。

ドアを開けての乗り降りは不可能となり、
サンルーフから妻と子供をそとに出しました。

息子は泣き出し、波はどんどん高くなり、
とうとうフロントガラスにまで押し寄せています。

途方に暮れて考えていると、
ふとここに来る途中に通った工事現場にブルドーザーが作業をしていたことを思いだしました。

しかしその場所までは3キロはあったはずです。
先ほどの牽引してくれた四駆の方にお願いして
その場所までつれていってもらいました。

ブルドーザーの運転者の方に事情を説明して…土下座してお願いすると、
現場の監督が快く「行ってあげな!!困ってるんだから…」
と了解してくださいました。

「ワラをもすがる思い」で先ほどの海岸に戻ってみると
なんと…波は更に高くなり、
サンルーフまで届く高さになっていました。

潜水してワイヤーを車体に繋ぎ
パニック映画さながらに脱出を試みますが
潮に揉まれた車体は更に砂地に埋まり
さすがのブルドーザーでも上がって来ません。

ワイヤーは伸びきり…とうとう切れてしまいました。

唖然とする私。

泣き叫ぶ家族。

本当に後悔しました。

ローンはまだたくさん残っているしどうしよう?」

自分の愚かさを後悔してあきらめかけた瞬間。
ブルの運転手の方が
今までの倍はあろうかという太いワイヤーを投げてよこしてくれました。

そのときの運転手さんが神様にみえたものです。

その結果…私の四駆は脱出し、
ホッとして…車内に入り込んだ砂を掃除して気がつくと
その運転手さんはいつの間にか現場を去り
そのブルは遙か彼方に遠ざかっていました。

その後ろ姿に私は手を合わせ
「ありがとうございました!ありがとうございました!」と
何度も頭を下げ、自分の行いを悔い反省したものです。

どうしてもお礼が言いたくて
翌日、その現場を訪れましたが、
すでに工事は終わっており
あの運転手の方が誰だったのかとうとう解りませんでした。

人は人に助けられて生きている事を実感させられた夏の日でした。

(渋谷区 Y.Tさん)
posted by 1039 at 07:46| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | ●見知らぬ方へ…ありがとう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

●頑張る娘の言葉に…ありがとう


●頑張る娘の言葉に…ありがとう


今月、私は誕生日をむかえます。
誕生日って、
私が両親に対して
五体満足に生んでもらって育ててもらった感謝を表し、
子供の誕生日には
私たち夫婦に生まれてきてくれたことへの感謝を表す日だと思うんです。

そんなことを実感したある日の事です。

新学期から
娘が小学生のミニバスケットボールチームのキャプテンになりました。
伝統あるチームでのプレー出来る事が親として誇らしい反面、
親の役員としての役割負担も多く、
キャプテンになった事で
我々一家は
更に週末は骨休みとは無縁の生活を強いられることとなりました。

毎日夜までの練習に加え、
毎週末は公式戦…。
週末ごと自分の時間も無く、
妻も私もイライラする日がつづいておりました。

6つ年上の長男も
どうしても週末の夕飯の志度が手抜きになるため、
不満を漏らすようになりました。
ついつい私も「お前のバスケットのせいでみんな大変なんだ」と
娘にあたってしまうときもありました。

キャプテンになってから一ヶ月が過ぎ、
娘は疲れ果てて練習から帰ると我々に言いました。

「いつも『ありがとう』。勉強も頑張るし絶対強くなるからね。」

無言で…家の掃除や犬の世話を手伝ってくれるようになりました。

私は思わず頭をハンマーで殴られるような衝撃をうけました。

「私はなんて恥ずかしい親なんだろう…、娘の辛さを理解していなかった。娘だって練習も辛いし、その中で塾にも通って…。」

「我々親にとっても…この時期は1年しか無いのだし、一緒に楽しませてもらおう」

今ではこの一瞬を娘と楽しみ、
楽しみを与えてくれてありがとうって心から思うんです。

(横浜市/M.Tさん)



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2008年04月18日

有料道路代を投入してくれた「ドライバー」さんありがとう。

 昨年、車で千葉県銚子市へ葬儀に行ったときのことです。東関道を通り潮来インターで一般道に降り、目的地に向かって走行していたら、市内に入る手前で知らずに有料のバイパスを走行していたようで、料金ゲートに導入。その料金所にはETC設備がなく慌てて小銭を探すことに…。いつもならジャラジャラとある小銭入れには一円玉と五円玉だけ。あちこちのポケットを探しても小銭はどこからも出てきません。バックミラーで後ろを見ると次々と後続車がつながり焦るばかり。
 そのとき、直ぐ後ろの車から人が降りてきて黙って料金を入れてくれて「どうぞ…」と言ってご自分の車に戻ってしまいました。
 事なきを得て料金所を抜けて車を脇に寄せ、そのドライバーにお礼の挨拶を…と思っていたら、サッと手を挙げてそのまま行ってしまいました。クラクションも鳴らさず、後ろから私の様子を察してくださったのだと思います。その日の、何気ない親切に感動し、小銭を準備していなかったことを反省。
       (板橋区/T・Hさん)


∞∞◆投稿はこちらへ→→→→→→→→株式会社ホロニックス総研
◇risk counselor◇リスク・カウンセラー◇risk counseling◇リスク・カウンセリング◇
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
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2008年04月17日

お父さんお母さん育ててくれてありがとう

お父さんお母さん
 育ててくれてありがとう。

 先日実家に行ったときに、母親からあるカセットテープを貰いました。それは僕が子供の時に録音したテープでした。〇歳、一歳、三歳といろいろバージョンがあって何てことない
「バブー、バブー」って僕が言っているだけの内容。でも、すっごく伝わってくるんです。
母「ありー!どちたの?」
父「ほら!今、笑ったぞ!」
という感じの内容が永遠と六〇分入ってます。でも、ものすごく二人とも幸せそうなんです。絵に描いたような幸せな光景が目に浮かびます。独身の頃、このテープを聴いてもきっとなんともなかったでしょう。
 でも、三人の子供たちの父親になった今の僕ならこの時の両親の気持ちが分かります。この頃、僕の両親はどんな気持ちだったんだろう?どれだけ幸せだったんだろう?どんな事を考えながら僕の事を眺めていたんだろう?
 そんな事をぼんやり考えながらテープを聴いていた僕は不覚にも泣いてしまいました。本当に昔からずっと愛されていたんだなあって。きっとこんなに大きくなっても僕が今、四歳の子供と接しているのと同じ子供なんだなあって思いました。
 無償の愛。本当にありがたいです。
 お父さん、お母さん、本当に今までありがとう。
    (ふじみ野市/石原潤一さん)
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2008年04月12日

ペットの「マル君」ありがとう。

 十三年前に石神井川の橋のたもとで拾った愛犬のマルです。運動嫌いの私は、初めたての頃グングン綱を引っ張って歩く君に引きずられるようで、散歩に行くのが嫌でたまりませんでした。
 でも、いまでは医者のアドバイスで四十分以上歩く散歩でも、君とつながるリ